外伝 砂の残照 後篇  (四代目風影)


…ちゃんと勉強してるのか?…
…はい。父さま。今日は、絵本を読みました…
…もう文字が読めるのか?…
…夜叉丸が教えてくれたから…
…それは偉いな…
…見て。数だって覚えたよ。ほら、1・2・3…

「我愛羅…」
 高窓から差し込んだ月明かりで目覚め、オレは、それが夢であった事に気がついた。指先に感じた柔らかな温もりは、意識の覚醒とともに消え去り、ざらざらとした固いシーツの感触だけが手のひらに残った。失った者たちの事を考えながら眠ったせいか、滅多に見ない夢を見た。それは、とっくに記憶の彼方に追いやられた過去だった。
 オレは、身支度を整えると静まり返った風影邸を出た。外は、まだ暗く、頭上には、青白い月が輝いていた。夜明けまでには、まだ少し時間があるようだ。そして、月明かりを頼りに、真新しい砂丘を目指した。
「昨日の砂嵐は、シムーンだったようだな…」
 砂丘には、点々と逃げ遅れた動物たちの砂像が連なっていた。シムーンは、熱風を伴う竜巻で、気温が高い昼間に発生した。その洗礼を受けたものは、人であれ、動物であれ、容赦なく水分を奪われ砂に還元される。オレの足元にある塊は、かつて野生のラクダだったようだ。
「…ここでいいだろう」
 オレは、チャクラを手のひらに集めると、地面を叩いた。たちまち砂の中から砂金が巻き上がり、辺りは、黄金に染まった。そして、しばらくすると月明かりを受けた金粉がゆっくりと煌めきながら砂の表面に落ちて来た。その光景はいつ見ても美しかったが、もう誰も一緒に見る者はいない。オレは、砂の表面に積もった砂金をチャクラでかき集めると背負ってきた箱の中に入れた。一度に採集できる量には限界があったが、それでも、砂漠は広く、砂嵐は頻繁に起こるため、砂金を取りつくしてしまう事はなかった。
「…日が昇ったな。夜叉丸…そろそろ戻ろう」
 振り向いてから、我に帰った。そこには、誰もいるはずがなかった。
「…バカな事を…」
 オレは、幾分重くなった箱を背負い、来た道を引き返した。明日になれば、その砂丘は失われ、また別の場所に現れる。そうやって風に乗って砂は移動し、一時として同じ場所に留まることはない。

…そんなところから、一体どうやってこの砂の里に帰って来るの?…
 幼い我愛羅は、不思議そうにオレに質問した。
…昼間は、太陽を探し、夜は、星を見て歩くのだ…
…でも、太陽も星もじっとしてないよ?…
 我愛羅は、小さな指で空を指しそう尋ねた。
…太陽は足元の影とセットだ。そして、星を見るときは、あの北極星を同時に見るのだ…その二つが、お前の帰るべき方角を教えてくれる…
 我愛羅は、嬉しそうに笑っていた。同じ質問をその昔、夜叉丸はオレにし、オレは、三代目風影にした。そうやって砂漠に生きる者達の知恵は、若い世代に受け継がれ、砂忍達は、何処に居ても自分の故郷に帰ることが出来た。
「…なのにオレは、何処で道を間違ってしまったんだ?」
 既に目の前には砂隠れの城壁が見えていた。だが、オレは、どこか見知らぬ場所に来てしまったような違和感を感じていた。


「お帰りなさいませ。また、お一人で砂漠に?」
「ああ…早くに目が覚めたからな…」
「護衛も連れずに不用心ではありませんか。御身にもしも何かあれば、この砂隠れは…」
「その時は、お前が、風影をやればいい」
「お戯れは、おやめください。あなた様以外の誰に今のこの砂隠れが救えますか…。それより、例の調査結果が、届いております」
 オレを執務室で待っていたのは、上役のガレキだった。手には、巻物を携えている。
「こちらです」
 オレは、それを受け取ると無造作に広げた。
「どうやらあの音隠れの使者の話は、本当だったようだな…」
 そこには、火影のサインが入った砂隠れへの侵攻計画が記されていた。
「これを入手するに当たり、長期間潜伏させていた二名が命を落としました」
「…残された家族には、恩賞をはずんでやれ」
「…心得ております」
 諜報活動は、いつの時代も水面下で積極的に行われていた。中には生涯一度の命令を果たすために、何十年も他里の忍として、偽りの人生を歩む者達もいた。そして、大抵の場合、彼らは、命令を実行すると命を落とした。オレは、風影としてその者たちの犠牲に十分、報いてやらねばならなかった。
「…木ノ葉崩しの件…どうなさるおつもりですか?」
「上役を集めろ。これから合議制会議を開く」
「…承知しました」
 ガレキは、その言葉を聞くために待っていたようなものだった。一人になったオレは、その報告書と先に届けられた密書を改めて見比べた。
「…音の…大蛇丸か…」
 今、この時期に砂隠れの方から木ノ葉隠れに侵攻する事はあり得なかった。戦争になれば、また大勢の死者が出る。ただでさえ砂忍が激減している今、そんなことをすれば、砂隠れは、すぐに敗退し確実に滅びてしまうだろう。そして、自衛の戦力を失ったこの風の国は、他国に侵略されてしまうだろう。目先の利益に捕らわれて軍縮を推進する大名には、その未来像が描けていなかった。
「…火影に直接会って、その計画の真偽を確かめねば…」
 同盟を結んで十数年の歳月が流れていた。その間、砂と木ノ葉の間は良好に保たれ、年二回の合同中忍選抜試験を開催することで、背後にある大国や隠れ里を牽制していた。それは、双方にとって最善の策であり最良の選択だった。

「本当に木ノ葉と戦争になるのか」
「どうやらその噂は、本当らしいぜ」
「ちょっと待てよ。戦争なんかになったら、この国は、たちまち餓死者で溢れてしまうぞ。なんたって食糧の大半は、火の国から輸入してるんだからな」
「隙をついて、岩隠れがきっと攻めてくるぞ」
 廊下では砂忍達が、大騒ぎしていた。戦争を経験していない若い世代は、皆、不安そうだった。
「一同、下がれ。風影様がお通りになる」
 上忍の由良が、オレの臨場を告げると皆、弾かれたように一斉に壁際に下がり頭を垂れた。


「なりませんぞ。断じて音の誘いに乗っては…!」
「しかし、出遅れれば、やられる」
「この際、我愛羅を守鶴化させ一気に木ノ葉を攻め落とすのだ」
「だが、我愛羅は、まだ人柱力として不完全だ。暴走すれば、敵も味方も区別がないぞ」
「ならばどうすると言うのだ?!こうしている間にも木ノ葉が攻めてくるかもしれないのに」
 会議は、紛糾した。その中で何度も出てくる我愛羅の名は、この里の切り札であると同時に脅威だった。
「風影様。人柱力の調教…いえ、我愛羅様はどの程度まで守鶴を制御できるのでしょうか」
 上役の一人であるジョウセキは、慌てて言い変えたが、オレにはそれがここにいる皆の本音だと分かっていた。我愛羅は、オレの息子として表面上は丁寧に扱われていたが、彼らはそれを危険なバケモノだと考えていた。
「まだ実戦に使えるレベルではない」
 アカデミーに入学して五年、担当教師のオトカゼの報告では、高度な忍術も既に身につけ、チャクラコントロールもそれなりに上達しているようだった。だが、肝心の守鶴の制御については相変らず未知数で、一旦、守鶴化すれば、また意識を乗っ取らる可能性が高かった。それこそ敵味方の区別なく暴走するかも知れないのだ。
「卒業は、来年の予定だったからな」
 それから下忍として戦場での作戦の展開の仕方を学び、効果的に守鶴を覚醒する力を身につける訓練を行う。全てを習得するには、まだ膨大な時間が必要なはずだ。そして、我愛羅自身が人柱力としての自覚を高め、この里の為になすべき事を行う…オレは、今度こそゆっくりと時間をかけて我愛羅をそう育てるつもりだった。
…それが、この砂隠れとお前自身を救う道だ…
「ですが風影様、事態は急変しました。もはや一刻の猶予もありません。今すぐにでも我愛羅様を特別部隊に編入すべきです」
 ガレキは、それが皆の総意であると主張した。そして、誰もが頷く中、それにブレーキをかけたのは、相談役のチヨバアだった。
「ワシは反対じゃ。我愛羅は、まだ成長途中…。今、無理をすれば、また不共鳴を起こし暴走する可能性が高い」
「悠長な事を言ってる場合ですか」
 強硬派の上役達は、黙っていなかった。
「守鶴と我愛羅の共鳴が上手くいかないのは、そもそもあなたの責任ではありませんか?胎児などではなく、始めから志を持った若者に守鶴を憑依させればよかったのだ。そうすれば、この里も無駄に被害を受けずに済んだものを…」
「何と!おのれ…我愛羅の暴走をワシのせいにするのか!許せぬ。今すぐ表に出よ。勝負じゃ!!」
 チヨバアは気色ばむと、暴言を吐いた上役に掴みかかった。
「姉ちゃんよ。少し落ちつけ。あんた達が争っても何の解決にもならんのよ…今は、もっと話し合わねばならん事が、一杯あるはずだよ」
 いさめたのは、相談役のエビゾウ翁だった。
「皆、沈まれ。そろそろ風影様に御決裁を頂こう」
 暴走する会議を軌道修正しようと、落ちついた声で制したのはリュウサだった。
「皆の意見は、出尽くしたようだな。…オレは、始めから大蛇丸の誘いになど乗るつもりはない。むしろ、その逆で、この事を火影に告げ、その真意を問うつもりだ」
 上役たちは、一瞬ざわついたが、オレの決意は変わらなかった。
「直ちに音の使者を献上品ごと放り出せ」
「なんと…あの多額の贈り物までお返しになると?」
「そうだ」
「…極上の献上品ですぞ。…何も返す必要は…」
「これは、勅命だ!」
 オレは、短くそう言い放つと椅子を蹴って立ち上がった。
「新興の隠れ里の使者など、この砂隠れから無傷で帰っただけでも、十分だというのに…」
「あれだけの金塊があれば、砂漠基地の一年分の経費が賄えよう…勿体ない事だ」
 あちこちで金品を惜しむ囁きが聞かれたが、オレは、声のする方を睨んだ。それは、砂隠れを憂えての発言だったろうが、今ここで音につまらぬ借りを作る必要はなかった。
…カンザブロウ…また、砂金を取って来ておくれよ…この屋敷をもっともっと大きくしたいんだ…
…カンザブロウ…母さんにもっと大きな宝石を買っておくれよ…
 オレは、金品に執着する上役に実の両親の姿を重ね、吐き気を催した。
「…見事だよ。風影」
 その時、オレに労いの言葉をかけたのは、エビゾウ翁だった。
「少し強引だったでしょうか…」
「アレで良いのよ。よく三代目も上役たちを一喝したものだ。最もあの頃は、風影の親政が行われておったが…。三代目失踪後の混乱期を乗り越えるためとはいえ、我々古参が、合議制会議の上役達に少々権限を与えすぎたようだ。まさか、このように風影の権力と拮抗する時代が来るなどとは思いもよらずに…苦労をかけるな」
 エビゾウ翁は、歯のない口で詫びた。
「…そなた…少し顔色が悪いようじゃが…どこか悪いのではないか?」
 エビゾウ翁の後ろから顔を出したのは、チヨバアだった。
「大丈夫だ。…問題ない…」
 オレは、その二人に早くからテマリとカンクロウを預けていた。
「風影さまは、お疲れなのです。今日も朝早くから、砂隠れの為に砂金採取に出かけられたのですから。お食事もまだ召し上がっておらぬはず…」
 一旦退いたガレキが、再び医療忍者を従えて現れた。
「お部屋にお食事を運ばせました。これは特別に作った薬酒です。お疲れが取れます」
 黒盆に乗せて恭しく差し出されたその液体からは、独特の香りがしていた。
「しばし待たれよ」
 チヨバアは、いきなり懐から銀のかんざしを取り出すと先端を液体につけた。そして、引き抜くとしげしげと眺めた。
「ふーん…毒は、入っておらぬようじゃ…」
 ガレキは、その振る舞いに唖然としていたが、チヨの行動の真意に気がつくと激怒した。
「し…失礼ではありませぬか。どうしてワシが風影さまに毒など…!これは、我が家に代々伝わる高価な香木を煎じて作った薬酒。お疲れの風影さまに少しでも気力を回復していただこうと忠誠心からお持ちしたというのに…」
「そなたは、信じられぬ。四代目を擁立する際に強固に反対したからの」
「あの時はあの時、今は今」
「…もういい」
 オレは、争う声に辟易し、器を手に取ると一気に飲みほした。
『…オレを殺したければ、殺すがいい…死ねば、この苦痛から逃れられる…』
 それは、刺すように痛む臓腑に流れ込み、やがてこれまで感じた事のない高揚感を感じさせる液体だった。
「お食事の後は、少しお休みくださいませ。後の事は、ワタクシどもが処理しておきますから…」
「ああ…頼む」
 オレは、酷く疲れを感じると、雑事を彼らに任せ私室へ引き上げた。だが、その時、既に大蛇丸による計略は、始まっていたのだ。


「いつもの薬酒が、ガレキ様より届いております」
 それから、毎日、食事の前にガレキから液体が届けられるようになった。オレは、自分の意思とは関係なく、気がつくと空の器を握っていた。高揚感と脱力感…それは、その薬酒の副作用だった。そして、その危うさに気がついた時には、既にその薬酒の虜になっていた。
「依存性のある薬か…ガレキの奴…これでオレを操ろうとしているのか…」
 チヨバアに成分を調べさせることもできるが、そうしなかった。
「ダメだ…体が…」
 欲している…それは、自分では、制御できない状態を作り出した。
…このままでは、利用される…
 分かっていながらも、オレは、日に日に理性を失い、その器を心待ちにするようになった。
「御気分は、いかがですかな?最近は、顔色もよろしいようで何よりです」
 ガレキは、薬の効果に満足しているようだった。それっきり、音隠れの大蛇丸からは、何も接触はなく、程なく暗部から、前の情報は、偽物だった事が報告された。
「人騒がせな奴らだな…」
「まったくだ」
 誰もが安堵し、音隠れの使者がもたらした危機は、杞憂に終わった様に見えた。そして、国境付近で岩隠れとの小競り合いが起こったことを切っ掛けに再び合議制会議が開かれる事になった。
「やはり我愛羅様の卒業を急がせてください」
「岩隠れが、今回は、尾獣を投入してくるとの情報もあります」
「冗談じゃない。そんなことになったら砂の里は、壊滅するぞ!」
「岩隠れは、二体も尾獣を持っている。土の国の大名は、風の国を乗っ取るつもりだ」
 またいつもの議論が繰り返され、会議は、迷走した。
「…我愛羅を卒業させる。同時に次の卒業認定試験内で、人柱力としての我愛羅の価値を確かめる」
 オレは、そう断言すると会議室を後にした。我愛羅には、どのみち拒否する権利などなかった。そして、価値がないと判断した時点で、封印した一尾を引きずり出される。それは、同時に我愛羅の死を意味した。
…宣誓などしない…
 オレは、あの宣誓式の中で我愛羅が見せた鋭いまなざしを思い出した。それは、我愛羅が初めてオレに見せた憎悪だった。
「…無理もない…」
 オレは、実の子を暗殺する為に、わざわざ養育者である叔父を刺客として差し向けるような父親だ。そして、あの瞬間、我愛羅が全ての繋がりを失ったように、オレもまたこの手に繋がっていた者たちを全て失ったのだ。
「…この里を守るためだ…」
 それから一ヶ月後、我愛羅は、砂漠にある第123卒業認定会場に旅立った。


「人柱力が卒業認定会場からいなくなりました。試験会場内で爆発が起こり、その騒ぎに乗じて脱走したようです」
 その知らせは、すぐにオレの元に届けられた。
…まさか、このまま里を棄てるつもりなのか?…
 6歳の時、オレは、両親と故郷を棄てた。我愛羅は、11歳でその選択をしようとしていた。だが、人柱力である我愛羅には、自分で自分を自由にする権利がなかった。オレは、チャクラを練り込んだ砂金を西の砂漠に向けて放った。
「砂漠基地の全てに感知タイプの忍を配置しろ…このオレが我愛羅を見つける」
 間もなく第三の目が開眼し、感知タイプの忍達の中継を通して、我愛羅の映像をオレの脳裏に送ってきた。我愛羅は、何度も守鶴化を繰り返し、無人の砂漠を跋扈(ばっこ)していた。それは、これまでにない大がかりな臨界実験を行っているようにも見えた。
「…いいぞ…そのまま、守鶴を征服してしまえ…」
 もはや我愛羅が、砂隠れに戻るには、それしか道は残されていない。

…教えてください。どうして、自分の子供にそんな過酷な運命を背負わせることが出来るのですか。そんな風にして生まれて来た子供は、いったいどうやって生きて行けばいいのでしょうか…

 尾獣化する我愛羅のもだえ苦しむ姿を見ているうちに、夜叉丸の憂い顔が浮かんだ。夜叉丸には、始めから人でないものに変化する我愛羅の苦しみが分かっていた。

…今度、生まれてくる子供は、この里にとってもオレにとっても特別な存在なのだ。だから、お前に託すのだ…
…風影様…
…この世の中に子供の幸せを願わぬ親はいない。オレとて同じだ。その子は、この里の人々に必要とされ、そして、この里を守る為に生まれてくる。オレはそう信じている…

「…信じている…か…」
 オレは、我愛羅の姿を砂金の目で追いながら、オレ達夫婦が、どんな思いで我愛羅の誕生を迎えたのか思い出した。
…お前は、この里の希望の星だった。なのにいつの間に、こんなことになってしまったのか…
 我愛羅は、一人、獣の姿で砂漠を彷徨っていた。そして、生き延びるために砂嵐を起こしては、キャラバン隊を襲い食糧を奪った。それは、砂漠に置き去りにされまいと通りすがりの砂忍にすがったオレや、加瑠羅、夜叉丸の生き方とは、まるで正反対だった。
「…すぐに涙ぐむようなひ弱な子どもだったのに…やはり人柱力は、人ではないという事なのか…」
…バケモノ…
 そう蔑まれて泣いて帰る我愛羅をオレは、何度も見かけた。それは、オレのいないところで容赦なく起こったが、それでも我愛羅は、心を閉ざすことはなかった。
…夜叉丸がいるから…
 人であり続ける事が出来たのは、ひとえに夜叉丸が我愛羅に愛を与えていたからだった。そして、オレは、唯一の光を我愛羅から奪い去った。
「…誰も信じず…誰も頼らず…」
 それは、正にオレの忍道だった。そして、オレは、非情なやり方で、それを我愛羅にも受け継がせようとしたのだ。
 それから三か月、サバイバルにより我愛羅は、飛躍的に守鶴を制御する力を伸ばした。その修業の相手の一つにかつて、オレが洞窟に封印した妖獣・砂ネズミがいた。第三の目でその姿を見たオレは、そこに言い知れぬ因果を感じた。それは、夜叉丸達と出会うきっかけとなった妖獣でもあった。
 そして、尚も漂流しようとする我愛羅を説得し、里に連れ帰ったのは、砂漠基地に左遷させられていたバキだった。


 査問会議が終わった日、真夜中の侵入者に気がつくと、オレは、ゆっくりと起き上がった。
「我愛羅か…」
「……」 
「来ると思った」
「……」
「五年ぶりだな。お前が直接こうして俺を訪ねてくるのは…」
 夜叉丸の死後、オレたち親子は、公の席以外で会うことはなかった。そして、その時ですらお互いに会話を交わす事はなかった。
「…オレを殺すつもりなら、なぜ自分の手でやらない。…夜叉丸や他の者をよこすぐらいなら…いっそう…アンタの手で」
 我愛羅は、積年の憤怒をぶつけた。
「甘えるな!」
 オレは、即座に一喝した。
「お前ごときを殺すのにわざわざ俺が手を下すとでも思っているのか?うぬぼれるな、…俺は、風影…お前は、一介の下忍に過ぎん」
「…く…」
 我愛羅は、悔しそうに拳を握りしめた。そんな息子をオレは、容赦なく追い詰める。
「俺を殺しに来たのなら、御託を並べずさっさとかかってこい!」
「くそぉぉおっっ!殺してやるっっ!!」
 我愛羅は、ひょうたんから砂を放出したが、それより早くオレは、我愛羅を砂ごと弾き飛ばした。
「うあっ…」
 そして、右手で我愛羅の首を捕え、左手で両腕を後ろにねじ上げた。
「まだまだ俺を殺すには修業が足りぬようだ」
「…うっ…」
 それから気を失う限界まで力を込めながら、オレは続けた。
「お前の弱点は、スピードと接近戦だ。砂のオートに頼りすぎるから、組み敷かれたら反撃できない」
「くっ…」
「どうした。俺が憎いんじゃないのか?…かかってこい」
 我愛羅の顔面を床に押しつけ、オレは更にののしる。
「この程度で俺に挑もうなど10年早い!」
 我愛羅の砂の鎧は、衝撃でひび割れていた。それは、恐怖と苦痛の象徴のようでもあった。
「ど…どうして…そんなにオレを…」
 その答えを一番知りたかったのは、オレ自身だったかもしれない。

……父さま。見て。ボクこんなことができるようになったよ……
……すごいぞ。我愛羅。さすが、お前は、俺の息子だ……
……ボクにとっては、父さまの笑顔を見るが一番のご褒美なんだよ…… 

「…オレは、いつだって…アンタのために頑張ってきたのに…」
 幼い我愛羅は、オレを喜ばせようと必死だった。母のいない我愛羅にとって、父親であるオレの存在は大きく、オレにとっても加瑠羅の忘れ形身の我愛羅の存在は、大きかった。だが、オレは、父親である前に風影だった。
「それがお前の甘さだ。…我愛羅、お前はまだ人柱力が何なのか分かっていない…」
「オレの中に勝手にバケモノを封じ込めたくせに、オレに偉そうに説教するなっっ!」
 それは、我愛羅の悲痛な叫びだった。


「我愛羅を監視せよ」
 翌日、オレは、帰還したバキを呼びよせると新たな任務を命じた。バキとも五年ぶりの再会だった。
「オレに夜叉丸の代わりをしろとおっしゃるのですか」
「そうだ。お前が適任だ」
「……」
 バキは、沈黙した。風影の命令は、絶対だった。砂忍である以上、否はないのだ。
「我愛羅を砂漠から連れ帰ったのは、お前だ。ならば最後まで責任を持て」
 もっと他の言いようもあったはずだった。オレは、そうなる事を心から願っていたのだから…。だが、これまでの姿勢を崩すことなく、淡々とそう命じた。バキは、少し考えていたが、やがて口を開いた。
「…承知しました。…オレは、夜叉丸ともそう約束しましたから…それをこちらから願い出るところでした」
「…バキ…」
「失礼します」
 バキは、オレに会釈をすると、ドアに手をかけた。
「‘心配性のバキ’…」
 バキは、はっとしたように振り返った。それは、昔、護衛しながら、オレの身辺をあれこれと気遣うバキに夜叉丸がつけた通り名だった。
「…オレの息子を頼む…」
 バキは、向き直ると初めて表情を和らげた。
「風影様も御身、お大切に…薬も過ぎれば、毒になります」
 その言葉は、温かく、オレは、バキが帰って来てくれたことを初めて実感した。
「…心配ついでに教えてくれないか。…何故あの時、お前には、夜叉丸が取るべき行動が見えていたのか」
「…それは…」
 バキは、再び硬い表情になった。
「それは、あなたの命令が夜叉丸の全てを否定するものだったからです」
「………」
 オレは、言葉を失った。夜叉丸は、オレに命令された瞬間、既にオレが放った言葉によって死を選択させられていたのだ。
「…さぞ…怨んでいただろうな」
「…それこそ直接、夜叉丸に聞いてみなければ、わかりません…ただ、風影様を怨んでいたのなら、寧ろ結果は、違ったものになっていたのではないでしょうか…」
 バキは、含みのあるセリフを残して去っていった。そして、後日、命令通り、我愛羅、テマリ、カンクロウを率いて、戦場に赴いた。


「お待ちかねの親書が届きましたぞ」
 オレに巻物を手渡しながら、満面の笑みを浮かべていたのはガレキだった。
「これで、お望み通り、お二人にお会いになれますな。その為にもお元気であらねば…」
 オレは、差し出された大きなグラスを受け取ると、それを一気に飲み乾した。そして、いつもの高揚感に包まれながら、夢と現実の狭間で亜麻色の髪の双子の顔を思い浮かべた。
「加…瑠羅…夜叉…丸…あれから…ずいぶんと経った…」
「あなたとの再会をきっとお二人もお喜びになるでしょう。さぁ…ご出発の前にもう一杯…」
 ガレキは、空になったグラスに再度、薬酒を注いだ。
「この薬酒を…作ったのは…大蛇…丸だな…」
 ガレキは、一瞬、はっとした様な顔をした。オレは、わずかに残った理性でそう指摘した。恐らくあの音の使者の献上した品とともに持ち込まれた物だったのだろう。
「さすがですな。やはり、お気づきでしたか…。これから行う穢土転生も、大蛇丸からの贈り物です。最も双子のDNAを提供したのは、ワシですが…。なら、ワシからも質問させてもらいましょう。…何故、あの二人に執着なさいます?彼らを殺したのは、他ならぬあなたですのに…怨みごとを聞くために、わざわざ御身の危険を冒すなど、風影としての資質を疑いますな…やはりあなた自身の価値は、あの砂金を扱う能力だけでしたか…」
「…オレ自身の価値…か…」
 そうかもしれなかった。ならば、尚更オレは、彼らに会って伝えなければならなかった。

 翌朝、オレは、まだ暗いうちに二人の護衛を伴って西の砂漠に向かった。やがて小一時間ほど歩いたところで、辺りは薄明に包まれた。
「夜明けだ」
 部下の一人が、東の空を振り返りそう呟いた。
「一番方角を見誤る時間帯だ…ここで少し待機しよう」
 もう一人の部下は、立ち止ると慎重に辺りを見渡した。

…そんなところから、一体どうやってこの砂の里に帰って来るの?…

 ふいに我愛羅の声が聞こえ、オレは思わず空を見上げた。だが、方角を指し示す太陽は、まだ地平線の下にあり、天の星々も消え去った後だった。
『…真っ直ぐに歩いて来たはずだが…真新しい砂丘のせいか、道に迷った気がする…』
 オレは、見慣れない風景の中で、次第に自分の位置を見失っていった。この砂漠でオレが知らない場所などあるはずがなかったのに…。
『まぁ、いい…とにかくこのまま進もう』
「行くぞ」
 オレは、戸惑う部下達に声をかけ、先頭に立って砂を踏みしめた。砂丘には、点々と三人分の足跡が刻まれたが、すぐに風にかき消された。
『待ってろ…今、会いに行くから…』
 …そして、今度こそ必ずお前達に伝える…オレが、お前たちを愛していたこと…本当は、誰も失いたくはなかったのだという事を…
  

《完》


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