鎮魂曲(レクイエム)


 大切な仲間…
 一人ぼっちのあの地獄から救ってくれた
 オレの存在を認めてくれた大切なみんな…


「我愛羅、時間だ」
 迎えに来たのは、バキだった。四代目風影の遺体が見つかって二日後、葬送の儀が執り行われることになった。風影の遺体は、死後、砂虫に食われて見るも無残な抜け殻になっていた。回収するにも風化が進み、崩れてしまうために布にくるんで運ぶしかなかった。葬儀の前に我愛羅たちが確認したその姿には、あれほど圧倒的だった父親の面影はなく、ただの物言わぬ躯が、人であった原形をかろうじて留めているに過ぎなかった。砂に埋葬すれば、すぐにでも分解してしまうだろうと誰もが思った。
 我愛羅は、喪服のまま椅子に座っていた。バキが声をかけるまで、その気配にすら気がつかないほど呆然としていた。


 一年前、砂漠放浪の査問から戻った夜、我愛羅は、父である風影の元を訪れていた。
「我愛羅か…」
 真夜中の侵入者に気がつくと、風影は、ゆっくりと起き上がった。
「来ると思った」
「……」
「五年ぶりだな。お前が直接こうして俺を訪ねてくるのは…」
 夜叉丸の死後、我愛羅は、父である風影を避けるようになっていた。公の席で会うことはあってもお互いに決して声をかけることもなく、ただ睨みあうだけの関係だった。
「オレを殺すつもりなら、なぜ自分の手でやらない。夜叉丸や他の者をよこすぐらいなら…いっそう…アンタの手で」
 我愛羅は、長年の疑問をぶつけた。
「甘えるな!」
 風影は、我愛羅を怒鳴りつけた。
「お前ごときを殺すのにわざわざ俺が?…俺は、風影だぞ。お前は、一介の下忍に過ぎない」
「…く…」
 我愛羅は、拳を握りしめた。傲慢な父親の物言いは、自分をまるで虫けらのように思わせる。
「俺を殺しに来たんだろ?御託を並べずさっさとかかってこい!」
 風影は、我愛羅の目的を知っていた。そして、挑発するようにシーツを翻した。
「くそぉぉおっっ!殺してやるっっ!!」
 我愛羅は、その瞬間、放出した砂ごと弾き飛ばされた。そして、体制を立て直す間もなくうつぶせに床に叩きつけられた。
「あっ…」
 風影が、上から押さえつけていた。右手は、我愛羅の細い首に回され、左手で両腕を後ろ手にされていた。
「まだまだ俺を殺すには修業が足りぬようだ」
「…うっ…」
 右手に徐々に力を込めながら、風影は続けた。
「お前の弱点は、スピードと接近戦だ。砂のオートに頼りすぎるから、こうして組み敷かれたら反撃すらできない」
「くっ…」
「どうした。俺が憎いんじゃないのか?かかってこいよ」
 我愛羅は、床に顔面を押しつけられながら、絶え絶えに呼吸をしていた。
「この程度で俺に挑もうなど10年早い」
 左手は、さらに締めあげられ、そのまま両腕を骨折させられる恐怖に襲われた。
「ど…どうして…そんなにオレを…」
 風影は、答えぬまま力をさらに入れた。
「ああっっ…」
 いつから、こんなに父さまは、オレに冷たくなってしまったのか…。
               ……父さま。見て。ボクこんなことができるようになったよ……
               ……すごいぞ。我愛羅。さすが、お前は、俺の息子だ……
               ……ボクにとっては、父さまの笑顔を見るが一番のご褒美なんだよ…… 
「…オレは、いつだって…アンタのために頑張ってきたのに…」
「それがお前の甘さだ。我愛羅、お前はまだ人柱力が何なのか分かっていないようだ」
 守鶴を封じ込められ人柱力として、人にうとまれ、恐れられて生きてきた。いつも一人ぼっちで、家族からも遠巻きにされ、親しく交わる友もなく、こうして…。
「オレの中に勝手にバケモノを封じ込めたくせに、オレに偉そうに説教するなっっ!」
 我愛羅は、叫びながら気を失った。それは、アカデミーに入学したあの日の自分と父との力関係をそのまま再現したものだった。あれから、5年の歳月が流れ、その年月の中で何度も死ぬ目に会い、そして、何十人もの命を奪った。修羅の道を歩いてきたのに、まだ、父親との距離は変わっていなかった。
…オレは、まだ父さまには、かなわない…・オレは…弱い…

「我愛羅、何している。早くしろ。お前の番だ」
 カンクロウに声をかけられ、ふと、我に戻った我愛羅は、祈りをささげる順番が、自分であることに気がついた。風影との別れを里の人々の前で演じる。それが、今、自分に課せられている義務だった。目の前の父の遺影は、若いころのもので少し笑っていた。
「……」
 儀礼的に我愛羅は、手順を踏んだ。隣では、姉のテマリが目を赤くはらして泣いていた。カンクロウもまた、必死で涙をこらえているように見えた。
…結局、オレは、父にかなわないまま、こうして別れを告げるのか…なら、この憎しみは、どこにいけばいいのか…
 空虚感が我愛羅に去来した。父親を殺すという一心で、砂漠から戻ってきた我愛羅だったが、突然の風影の死は、我愛羅から生きる目標を奪っていった。
…オレが殺すはずだったのに…どこに行ってしまったんだ…アンタは…
 やがて弔いの鐘が鳴らされ、風影の遺体は、歴代の風影が眠る墓地へと運ばれた。我愛羅は、無表情のままそれを見送った。

「我愛羅…」
 カンクロウが、部屋を訪ねると我愛羅は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。肩を揺り動かすまで、カンクロウが声をかけていることすら気づいていない様子だった。
『珍しく隙だらけだな』
「どうした。お前らしくもない。まぁ、気が抜けるのもしょうがないな。これで、お前も暗殺される心配がなくなったじゃん」
「……」
「オレとテマリも正直、ホッとしてるんだ。昔はいざ知らず…最近の親父は、おっかなかったからな。何考えてるのか分からなくて…」
「……」
「オレたちは、親父がお前の暗殺を命じるんじゃないかと…内心怖かったんだ。そんなこと…できるわけがないのに」
 我愛羅は、いきなり正気に戻ったようにカンクロウを見上げた。
「夜叉丸は、命令を受けた」
「…そうだったな。だが、所詮、他人だったからできたんだよ」
「お前たちは、そうでないと言い切れるのか?己の命が危ないと分かれば、なんでもする。それが人間だ」
「どうせ死ぬなら…オレは、暗殺者としてではなく、お前の兄貴として死にたいよ」
「……」
「親父の真意は分からないが、少なくともオレたちには、お前を生涯守れと命令していたんだ。結局、お前も父親殺しの汚名を着ずに済んだし…」
「知っていたのか」
「まあな…。あんな目にあえば、オレだってきっと親父に復讐しようとするだろう」
「…オレは、この手で殺したかったんだ…」
「我愛羅。もう、終わったんだ。親父は、もう逝ってしまったんだ。もう…苦しまなくていいんだ」
「…終わってなどいない」
「…?!」
「苦しみを残したまま…オレに憎しみの呪印を刻んだまま、勝手に逝ってしまったんだ」
「我愛羅…」
「こんなに、憎いのに…殺してやりたいほど憎いのに…もう、どこにも…いない」
『我愛羅…まさか、泣いているのか!?』
 カンクロウは、我愛羅を思わず抱き締めていた。こんなに取り乱した我愛羅を見るのは、初めてだった。
『お前は、父親を憎んでいたはずじゃなかったのか…?どうしてこんなに…』
 突然の風影の死は、我愛羅を混乱させていた。カンクロウは、木ノ葉崩しの後、帰郷する最中に、初めて弟の口から済まないという一言を聞いた。その時も驚いたが、今回の我愛羅の動揺はそれ以上だった。いつもの不遜な我愛羅は、影をひそめ、ただの12歳の弟がそこにいた。父親にうとまれ、孤独の中で育った少年。それが、我愛羅だった。


「我愛羅の様子がおかしい?」
 カンクロウは、バキに相談を持ちかけた。
「ああ。なんかいつもと違うんだ。ぼんやりしてるっていうか、心ここにあらずっていうか。前みたいに悪態をつく元気もないみたいだし…」
「風影の死が堪えているんだよ」
「らしいな。でも、意外だったよ。アイツ。てっきり親父を憎んでるもんと思ってたから。あんなにショックを受けるなんて」
「憎んでるよ。そして、同じぐらい愛していたんだ。…ずっと」
「……」
 バキは、我愛羅が突然の風影の死を受け入れられないことを予測していた。砂漠から連れ戻すときに、ろくでもない人生から抜け出すのを見届けてやると言ったのは自分だった。だが、結局、風影の死によって我愛羅は、生きる目標を失い、また、虚無の世界に放りだされてしまったのだ。このままいけば、我愛羅は、自分の人格を手放し、心身ともに守鶴に乗っ取られてしまう可能性もあった。風影がいなくなった今、そうなってしまえば、もう誰も我愛羅を止めることはできなかった。
『我愛羅や里を守るにはこの方法しかない…』
 バキは、上役会議で議題に上った木ノ葉との同盟関係の修復案を実行することを決めた。
「お前たちに丁度いい任務があるんだが…」
「こんなときに任務なんかできるわけないじゃん。何考えてるんだ。アンタはっ!」
 カンクロウは、突然のバキの申し出に抗議した。我愛羅の状態をわかっていながら、任務に借り出すなどあり得ないことだった。
「木ノ葉が、支援要請してきた。敵は、音の忍だ」
「音だと?」
 風影の命を奪ったのも音の大蛇丸だった。カンクロウは、なにか因縁めいたものを感じた。
「我愛羅の状態は、目の前に強敵が現れればきっと変わるはずだ」
「……」
『木ノ葉…うずまきナルトのいる?』
 カンクロウは、その名前を忘れていなかった。
『我愛羅が最後に戦った相手。そして、あの我愛羅を変えたうずまきナルト…。そうだ。もう一度、木ノ葉のあいつに会わせれば…』
 中忍選抜試験で何度も顔を合わせた我愛羅と同じ年ぐらいの金髪の少年。一見平凡だが、信じられないようなタフさで、いつも明るく笑っていたあの子供。最後に我愛羅とやり合って、どうやらこれまで誰も触れることができなかったあの我愛羅の心に触れたらしい木ノ葉のうずまきナルト。それは、カンクロウとテマリにとっても、明るい兆しを感じさせる出会いだった。
「丁度いいじゃん。やるよ。その任務」
 カンクロウは、バキに了解の意を示すと我愛羅の部屋に走った。


「我愛羅…」
 相変らず我愛羅は、椅子に座ったままぼんやりと窓の外を見ていた。もともと細かった体が、食事をとらなくなったこともあっていっそう小さく見えた。
「一体どうしちまったんだよ。なぁ…」
 日に日にその状態は、ひどくなるようだった。どこか遠いところに居る…そんな我愛羅をカンクロウは、揺さぶった。
「…カンクロウ」
「いつもなら、目があったら殺すとか、この愚図が、とかなんとかいうだろ。お前らしくないじゃん」
「……」
 …親父は、お前の心まで持っていってしまったのか?…・
『このままじゃ絶対にまずい』
 カンクロウは、バキの任務を思い切って我愛羅に告げた。
「木ノ葉が支援要請してきた。明日、出発する。お前も連れていくから、いつまでも呆けてんじゃねぇよ」
「木ノ葉…」
「そうだ。うずまきナルトがいる木ノ葉だ」
「…うずまき…ナルト…」
…守鶴化した戦いで、オレの術を破り、叩きのめした木ノ葉のうずまきナルト…オレの気持ちを理解していると言ったアイツ…
「カンクロウ」
「ああ。なんだ」
「…もう一度アイツに会えば、この苦しみの呪印から、オレは解き放たれることができるのだろうか…」
「それは、アイツに会えばわかることじゃん」
「……」
「さぁ。了解したなら、まずは、食事だ。こんなに細くなっちゃ、音の忍と戦えねぇじゃん。お前が主力なのに」
「……」
 我愛羅の目に次第に焦点が戻ってくる。カンクロウは、その様子にほっと胸をなでおろした。そして、今さらながらに、この任務を提案をしたバキに感謝した。我愛羅は、カンクロウに促されゆっくり立ちあがった。そして、カンクロウを見上げると、
「オレの足手まといになったら殺す」
と低い声で言った。
「それでこそオレの我愛羅じゃん」
 カンクロウは、我愛羅の悪態が嬉しかった。落ち込んでいる弟は、もう見たくなかった。悲しみに沈むその姿を見ることは、身を切られるように辛かった。
…どうしてなんだろうな…
 我愛羅が、カンクロウの前を歩いていた。いつもその華奢な背中をテマリと二人で守ってきた。我愛羅には絶対防御のオートの砂があったが、それでもその背中を守るのは、自分たち姉兄の役割だと改めて思った。


「木ノ葉で少し療養させたい?」
「ああ。あっちで友好を深めるって名目で…。ついでに木ノ葉のアカデミーのシステムや文物について勉強したいんだ」
 バキの命令を聞いて新たに申し出をしたのは、テマリだった。
「どのぐらいの期間が必要なんだ?」
「そうだな。三か月ぐらいはどうかな。冬が来る前には戻ってくる」
 人柱力の我愛羅を国外に連れ出すためには、いろいろと面倒な手続きが必要だったが、バキは許可した。いずれにしても、我愛羅には新しい目標が必要だったし、環境を変えることで癒されるものもあるだろうとバキは考えた。
「決して騒ぎを起こさないように我愛羅から目を離すなよ。木ノ葉には、オレが連絡をしておく。任務が終わったら、そのまま滞在していい。定期連絡をちゃんとよこせよ」
 テマリは、自分の申し出があっさり快諾されると笑顔で礼を言った。テマリもまた、うずまきナルトの存在を忘れていなかった。
…我愛羅。お前を変えたあの子にまた会えるよ…
 
 翌日、三姉弟は、砂の里を出発した。木ノ葉までは、三日の道のりだった。支援内容は、木ノ葉の下忍、うちはサスケが大蛇丸に連れ去られ、その奪還をサポートすることだった。うちはサスケは、我愛羅と中忍選抜試験で戦い、左肩に傷を負わせた少年だった。
 木ノ葉の森に続く風の砂漠には、強い向かい風が吹いていた。だが、先頭を行く我愛羅は、速度を緩めることなく、ひたむきに木ノ葉を目指した。そして、その先には、あのうずまきナルトが待っているはずだった。

 


 小説目次   再会(木ノ葉の里編)

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