砂漠放浪 


 第3中央方面砂漠部隊基地内の連絡室で、ウエシタは、息子たちの写真を愛しげに眺めていた。
「確か今週だったっけ。卒業試験」
 訪れたのは、2人分のコーヒーを手にしたバキだった。
「長いこと師匠のとこに預けっぱなしでね。でも、やっぱり正規部隊で頑張って欲しくて、昨年、風影様に無理を承知でお願いして、途中編入したんだ。思ったより真面目に修業していたみたいで、今年卒業できる事になったんだ」
「確か双子だったな、お前んち」
 バキは、ウエシタの手から写真を拝借すると、どれどれとながめた。そこには、同じ顔をした2人の少年が写っていた。2人とも、ウエシタをそのまま、子どもにしたような顔をしている。
「どうみても、お前の子供だよ」
 ウエシタは、嬉しそうにエヘへと笑った。バキは、ウエシタをうらやましく思った。以前、彼にも妻子がいたが、戦争で失ってしまった。息子が生きていれば、丁度このぐらいの年頃だった。
「ちょい待ち。緊急連絡だ」
 2人でなごんでいると、珍しく緊急の知らせが届いた。
「大変だ。卒業試験会場から、人柱力がいなくなった」
「我愛羅が!?」
 バキは、我愛羅を小さいころからよく知っていた。古参の上役たちの不興を買い、今でこそ、こんな辺境の砂漠部隊に左遷されているが、もともとは、風影の側近だった。我愛羅の母、加瑠羅のことや、叔父の夜叉丸の最後についても、風影から、聞いていた。
「試験会場で原因不明の爆発があって、それに巻き込まれたらしい。位置的に結界が薄いエリアだったから、ソト(素土)に放りだされたんじゃないかって」
「ソトだと!?」
 つい先ほど、シムーンの発生があったことは、前線基地から連絡を受けていた。
「あれに巻き込まれたとしたら、今頃は、砂像にされちまってるよ」
 これまで何度も見てきたシムーンの洗礼を受けた遺体。それは、急速乾燥されたことにより、砂に還元される。シムーンが通り過ぎてまもなくは、原型を留めているが、再び強い風にさらされると、崩れて周囲の砂と同化してしまう。
「現場に行く」
 バキは、外套と防塵マスクを手に取ると、部下を2人連れて砂漠に向かった。
『我愛羅の卒業は来年だったはず…』
 以前、風影から、そう聞いていた。途中で予定が変わったのだろうか。
「爆発ってのも妙だな…」
 会場内のセキュリティは、かなり強固のはずだった。まして、里の郊外に人柱力である我愛羅を出すとなれば、当然、いつも以上に警護を固めているはずだった。我愛羅は、幼いころから幾度となく他国の忍たちに誘拐されかけている。そのたびに里を危険にさらし、多くの忍が命を失った。一番苦しんだのは、父親である風影だった。バキは、誰よりもそのことを知っていた。
『生きてろよ。我愛羅…』
 バキは、遅れがちになる部下たちに合流地点を伝えると一人、先を急いだ。胸騒ぎがした。この地に来て3年になるが、何より恐ろしいのが、シムーンだった。特定のエリアで不定期に発生するため、そこに近づくものはなく、逆手にとってその地を背にして作られたのが今回の試験会場となった第123演習場だった。以前からその危険性が指摘されていたが、一度作ってしまうとそのまま不都合は隠ぺいされ、大事故でも発生しない限りそのまま使用された。
 バキの前方には、ソトの地が広がっていた。シムーンは、先ほど発生したばかりなので、自然エネルギーが回復するまでには、数時間あった。バキは、迷わず突き進み、第123演習場と接している場所を全速力で目指した。普段でも防塵マスクなしでは一歩も先に進めない砂漠の中でも極めて過酷な場所だった。
『我愛羅…』
 最後に見かけたのは、多分、夜叉丸が風影に暗殺を言い渡される前夜だろう。事前に計画を知らされたバキは、風影に抗議した。道義的に許されないことだというのが、バキの主張だった。だが、具申は却下され、計画は実行された。その後も、風影の考えには、賛同しかねることが多々起こり、ついには古参の上役とぶつかってしまった。その結果が、現在の境遇だった。砂丘に上って周囲を見渡すと、砂漠の真ん中に少し色の違う部分を見つけた。双眼鏡で見ると丸い塊が転がっていることが分かった。一度見たことがある我愛羅の作る砂の繭だった。
「生きていたのか」
 バキは、その砂の繭に駆け寄ると、外から大声で話しかけた。
「我愛羅!おい、生きているのか。俺だ。バキだ。聞こえるか」
 内部からの返答はなかった。思い切って繭の表面を叩いてみると、それはガラガラと簡単に砕け散り、中で気を失っている我愛羅の上に降り積もった。爆発を回避するためにとっさに作ったものらしく、砂の隙間からシムーンの毒の風が入り込んだようだった。
「無意識にこいつを維持していたというのか…」
 これも守鶴を宿した人柱力の力なのだろうかとバキは、いまさらながらに驚いた。
「我愛羅、我愛羅っ!返事をしろ」
 呼びかけに反応はなかったものの息があることを確認すると、バキは、近くにある岩屋へと向かった。我愛羅は、即死こそ免れたが、ひどい熱射病を起こしているはずだった。
「死ぬなよ」
 バキは、なめらかな岩肌に我愛羅を横たえた。いつも身につけている砂の鎧も先ほどの繭とともにはがれおちていた。青白い顔で横たわる我愛羅は、そのまま死を予感させた。
「ほら、水だ。飲むんだ」
 バキは、水筒の水を我愛羅に飲ませようとしたが、気を失っているため上手く飲み込めないようだった。
「仕方がない」
 バキは、我愛羅を抱き起こして顎を上に向けてると、口移しで水を飲ませた。今度は、なんとか上手くいったらしく、我愛羅ののどが上下に動いた。15分おきに水を与え脈をとった。弱くて早い律動が、冷たい体から伝わってくる。普通なら大量の発汗も認められるのが熱射病の特徴だったが、極端に脱水していてそれもかなわない。体内にこもった熱は、我愛羅を苦しめているようで、時々うわごとを口にした。その中で何度も繰り返されたのが、父を呼ぶ言葉だった。
 腕の中にすっぽりと収まっている我愛羅を、バキは見つめた。風影を知る者として、その息子・我愛羅は、バキにとっても、生涯守るべき存在であった。いつまでも尾獣をコントロールできずにいる息子を風影は、疎ましく思っている。誰もがそう思っていたが、バキの中には拭いきれない疑問があった。
「バキ隊長」
 岩屋に二人の部下がやってきた。バキの足元に横たわる少年に気がつくと彼らも安堵したようだった。
「よかった。さすが隊長だ」
 彼らもあちこち探し回ったらしく、埃まみれになっていた。
「もうじき、次のシムーンの発生時間になりますよ。急いで基地に戻らないと…」
 これまでの発生データから、天気予報と同じ程度にはシムーンが起こる時間を予測することができるようになっていた。しかし、今、我愛羅を動かすことは、危険だった。熱砂の中、猛スピードで移動すれば、最悪、基地にたどり着く前に死んでしまう可能性もあった。
「俺は、もうちょっとここでこいつを回復させる。明日のシムーン予報を持ってるか」
 部下は、うなずくとポケットから紙片を出した。それから、持参した水と食料を置くと、先に基地へ戻った。
 夜になり岩屋の中にもひんやりとした空気が入り込んだ。砂漠は、寒暖の差が激しく、体力がある若者でも長居は禁物だった。固形食をかじり、空腹を満たすと、バキは再び水を飲ませるために我愛羅を抱き起こした。水を口に含ませると我愛羅が、うっすらと目を開けた。翡翠色の瞳が、バキをぼんやり見ていた。
「…生きているのか…オレは…」
 弱々しくそう呟くと我愛羅は、起き上がろうとした。だが、めまいと吐き気に襲われ、すくさまバキの腕の中に倒れ込んだ。
「無理だ。今動くと死ぬぞ。安静にするんだ」
 虚脱感が全身に広がり、我愛羅は、熱いはずなのに寒気を感じた。そして、全身をガタガタと震わせた。
「自律神経がいかれてるんだ。体温調整がうまくできていない。とにかく水を飲んで安静にするんだ」
「さ…むい…」
 バキの胸元にしがみつくように我愛羅は、震えていた。バキは、自分の外套を広げると、そのまま、我愛羅を抱き込んだ。我愛羅は、温かさに安心したのか、またうとうとと眠り始めた。弱っているせいか、守鶴のチャクラは感じられない。バキは、安堵した。
 夜中にもう一度、我愛羅に水を飲ませた。目を覚ました我愛羅の意識は、先ほどよりははっきりしており、とりあえず峠を越えたことが分かった。
「いったい何があった?卒業試験を受けてたんだろ?」
 我愛羅にも何があったのか、本当のところはわからなかった。ただ、心を許しかけていた双子が、突然、自分を殺そうとした。それだけだった。爆風で吹き飛ばされ、落ちたところに、猛烈な砂嵐がやってきた。オートで反応する砂に同調しながら必死で繭を作った。しかし、熱風が砂の隙間から入り込むと、次第に意識が遠ざかった。気がつくと、目の前にバキがいた。
「とにかく動けるようになったら基地に連れていく。みんな心配しているぞ」
 バキは、普通の大人が、普通の子供に言い聞かせるように我愛羅にそう言った。
…心配…している?…
「…だれが?」
 我愛羅は、呟いた。可笑しかった。何度も実の父親に殺されかけているのに、一体誰が心配するというのだろう。
…もう…誰も…オレの心に入ってくるな…
 我愛羅は、バキに背を向けると悟られないように自分の腕の中に顔を埋め唇をかんだ。何度も同じ思いをしては、傷ついてしまう自分が腹立たしかった。まだ、他人に何かを期待している自分の甘さが許せなかった。もう何も感じまいと決意する心とは裏腹に、無意識に涙があふれ出し、細い肩を震わせた。

 翌朝、バキが目を覚ますと、すでに我愛羅の姿はなかった。非常用の食料と水を持って移動したらしい。
「あんな体で一体どこに行くつもりなんだ」
 バキは、慌てて岩屋の外に出た。おりしも北の空に砂塵が集まり始めていた。垂直に長く渦を巻くそれは、次第に発達しながらこちら側に近づいていた。
「戻ってくるんだ。我愛羅ーっ!!」
 バキは力の限り叫んだ。だが、それは、周囲の岩山に反響し、空しく木霊するだけだった。


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