五月雨


「…よく降る」
 我愛羅は、ベッドに座ったまま、窓の外の雨を見ていた。木ノ葉の里に来て二週間が経とうとしていた。初めの一週間は、体力が落ちていたところに君麻呂との戦闘でチャクラを使い過ぎたため、疲労困憊して木ノ葉病院に入院していた。丁度、カーテンを仕切る形で隣のベッドにナルトが寝ていたことで、ナルトに会うために木ノ葉の里にやって来た我愛羅の目的は達せられた。その後は、ナルトのアパートにホームスティしながら、日中は、テマリ達とともに公式行事へ出席した。そして、さらに一週間が過ぎてしまうと、初めの頃のさわやかな天気と打って変わって雨降りの日が続くようになった。どうやら梅雨に入ったらしい。
「よく飽きずに見てられるってばよ」
 ナルトもまた、先ほどから我愛羅の横に座り、空から止むことなく落ちてくる大粒の雨を見上げていた。
「砂漠では、めったに雨は降らない。…ましてこんなに長く降り続くことはない」
 火の国の豊かな実りは、こうした雨がもたらすのだろうと我愛羅は考えていた。公式訪問した農場では、豊かな穀物の実りを確認した。春には小麦、秋には米、そして、四季ごとにとれる新鮮な野菜や果物、また、草原地帯も広がっていることから、畜産も盛んで食料自給率の高さが、火の国の平和と経済の安定を生んでいることが分かった。
「風の国は、その大半が砂漠地帯だ。風が絶えず吹くため、砂や土が移動して作物が育たない。だから、食料のほとんどを近隣の国からの輸入に頼っている。そんな状態だから、一旦戦争に突入すると、たちまち餓死者が出てしまう。一国では自立しえない…それが、風の国だ」
「オレは、難しいことはわかんねぇけど、国同士仲良くすることが大切なんだろ?何もかもそろっている国はないってシカマルも言っていたし…。このクナイだって手裏剣だって、風の国からきた鉄鉱石で作っているって話だった。お互いに必要な関係ってのは、すごくいいと思うな」
「そうだな。だからこそ、木ノ葉と砂のように環境が異なる里同士が同盟関係を結ぶことに意味がある。それは互いの発展にもつながる。もはや一国では、一日たりとも存続しえないのがこの世の中だ」
 我愛羅たちの視察について回ることで、ナルトもまた木ノ葉の里の様子や火の国の様子を勉強していた。熱心に質問するテマリに面倒臭そうに答える奈良シカマルの博識ぶりにも驚かされたが、根暗だと思っていたカンクロウが意外にも犬塚キバや赤丸と気が合うことにも驚かされた。そして、何より一番驚いたのが、同じ年の我愛羅の見識が、砂の里内に留まらず、風の国全体を見通したものであることだった。
「我愛羅ってば、忍術だけじゃなくていろんなことに詳しいってばよ。砂の里のアカデミーってば、そんなことまで教えんのか?」
「…オレは、ほとんどの時間を一人で過ごしていたから…。忍術に役立ちそうな本を片端から読んだんだ」
「バキ先生に習ったんじゃなかったのか?」
「バキは、先生と言うより…」
「より?」
「オレの後見人であり、監視人のようなものだ」
…あの何もない砂漠からオレを砂の里に連れ帰ってくれたバキ…ろくでもないオレの人生を見届けると言って、父親代わりにオレを心配してくれる唯一の大人…
「でも、独学でこれだけの知識や技術を身につけることができるってことは、やっぱりお前ってば元々頭が良いんだろうな。オレなんてイルカ先生に、カカシ先生に、エロ仙人だろ。そうそう、エビス先生なんかにも教えてもらったけど、今だによくわかんねぇことだらけだから」
 指を折りながら、ナルトは、これまで自分に関わってくれた恩師の名前を連ねた。それぞれに学んだことは違うが、今日の自分があるのは、彼らのおかげだとナルトは改めて感謝をした。
「なるほど。お前には、そんなに多くの師と呼べる者がいたのか。オレより強いはずだな。よい弟子は、時機に応じて師に出逢うと言う。昔は、オレにも師と呼べる人がいた。だがオレは、あまり良い弟子でなかったらしく、早々に二人ともオレに愛想を尽かしてしまったけどな…」
 ナルトは、それが以前聞いた父親と我愛羅の叔父であることを察した。
「我愛羅…」
「いずれにせよ、今まで得た知識や身に付けたものをどのように役立てるかが重要だろう。それに、今はこうしてオレにも世俗のことを教えてくれる立派な先生ができたことだし…」
 我愛羅は、ナルトの顔を見た。
「えっ?オレ?…ああ。そうだってばよ。ホント、お前ってば、当たり前のこと知らなすぎだってばよ」
 ナルトが、腕を組んでちょっと偉ぶっていると、我愛羅は、黙ったまま横に座っているナルトの肩に自分の頭を乗せて目をつぶった。ナルトの目線の先に我愛羅の額の緋文字があった。
「お前に出会えてよかった…」
「えっ?」
「…お前は、復讐ではなく、大切なもののために生きることを教えてくれた…」
「…へへ…なんか照れるってばよ…そんなこと言われると…」
「そうだな…」
 二人は、寝転がったまま雨の音を聞いていた。時折、空が明滅し、遠雷が低く鳴り響いていた。
…このまま、時が止まればいいのに…
 我愛羅は、横たわったまま厚い雲に覆われた暗い空を見上げた。
『砂の里に帰る日…か。そんなに遠くはないはずだ…』
 我愛羅は、すぐ隣にナルトの手が置かれていることに気が付いた。それは、木ノ葉と砂の関係に似ていた。

 公式行事に付き添うナルトの姿を我愛羅の視線が追う。カンクロウは、そんな我愛羅を見て次第に不安を感じ始めていた。
「なぁ、テマリ。俺たちって後、どのぐらいここにいるんだっけ?」
「まだ、ここにきて一か月も経ってないぞ。なんだ。もう、ホームシックか?」
「違う。オレの事じゃなくて…我愛羅じゃん」
「はぁ?我愛羅?別に楽しそうにやっているじゃないか。ここに来て明るくなったよ。あの子は。これもナルトのお陰だな」
「ちっともわかっちゃいないな…」
 テマリは、それ以上カンクロウにかまわず、奈良シカマルと今日の日程について打ち合わせを始めた。なんだかんだといって気があっている様子の2人である。カンクロウは、1人取り残されたような気分になった。
「カンクロウ。暗くねぇ?」
 話しかけたのは、犬塚キバだった。腕に抱いている赤丸も心配そうに鼻を鳴らした。
「…なんでもねぇじゃん」
 我愛羅がナルトに心酔していく様子をカンクロウは、憂えていた。ここに来る前、我愛羅は、亡き父親への感情のやり場に苦しんでいた。そして、その呪縛から抜け出すために、木ノ葉のナルトに会いに来た。今度は、そのナルトと出逢ったばっかりに砂の里に戻ってからナルトの事でまた苦しむのではないかと恐れたのだ。
『オレの杞憂ならいいけどな…。お前は、人柱力だから、オレ達と違って簡単に里の外に出られるわけじゃない。それは、ナルトも同じだ。もしかしたら、これが今生の別れってこともある。そうなれば、また苦しむことになる。オレはもう、あんな我愛羅は見たくないじゃん』
 カンクロウは、悲壮感に食事も満足に取れなくなったあの頃の我愛羅の様子を思い出していた。
『そうだ。なんとか今のうちに、お前らがお互いに心の距離を保てる今のうちに…』
 カンクロウは、我愛羅がテマリと話している隙にナルトに声をかけた。
「ナルト、ちょっと話がある。我愛羅に分からないように出てきてくれ」
「なんだってばよ。いったい…」
 カンクロウは、ナルトにそう告げると何食わぬ顔で廊下に出て行った。
「我愛羅。オレちょっとトイレ行ってくるから…」
 テマリと話しながら、目線をナルトに移すと我愛羅は、うなずいた。
 ナルトは、大して気にもせずあくびをしながら出て行った。

「で…話って何?」
 カンクロウは、廊下の端で待っていた。
「お前…我愛羅のことどう思っているんだ?」
 唐突な質問にナルトは、あくびを途中で止めた。
「どうって…友だちだと思っているけど…」
「我愛羅は、多分、それ以上の気持ちをお前に持ち始めている」
「それ以上って?」
「説明しにくいな…」
「我愛羅は、多分、いろんなことが珍しくてしょうがないんだ。この間も雨を見ながら、食糧問題のこととか、なんか難しいこと言っていたし…。ここでの三ヶ月を我愛羅なりに充実させようとがんばってるってばよ」
「オレは、この際、我愛羅も犬塚家か、奈良家で生活したほうがいいんじゃないかと思う」
「オレじゃ、役不足ってことかよ」
「逆じゃん。これ以上、我愛羅がお前に深入りするのが、アイツのためにならないから言ってる。だから、お前もアイツを追い出すように協力しろってことじゃん」
「それって…我愛羅に対する裏切りだってばよ」
「それが、我愛羅のためじゃん」
「ふざけるな!!こいつが、お前ら砂のやり方かよ。…冗談じゃねぇってばよ!!アイツは…ずっとずっと苦しんできた。身内に裏切られ続けてな。それは、兄弟のお前らが、一番良く知ってるはずだろ!?…ずっとずっと…人を信じる事ができずに、自分だけの世界で我慢してやってきたんだ。本当は、悲しくても、アイツは…自由に泣くこともできずにずっと苦しんできたんだ。ここに来て…やっと、ちょっとだけ笑えるようになったのに…オレにあいつのこと裏切るようなまねをしろっていうのか?!!ふざけんなよ!!」
「…ナ…ナルト」
「許せねぇ。そんな事、兄貴のお前が言うなんて!!我愛羅の気持ちも考えずに、そんな事を言うなんて…!!オレは、お前を許せねぇってばよっ!!」
 ナルトは、カンクロウに殴りかかっていた。
「くそっ!!わからずやだな」
 カンクロウもナルトの拳を交わしながら、反撃に出た。

「大変ですよ!!あっちでカンクロウさんとナルト君が喧嘩しています」
 慌てて走ってきたのは、ロック・リーだった。偶然、二人が殴り合っていたところに出くわしたのだ。体術のスペシャリストであるリーは、止めようと思えば止められたが、どうやら原因が我愛羅のことらしく、とりあえず人を呼びに走ったのだった。
「何であの2人が!?」
 テマリとシカマルは、慌てて部屋を出て行った。我愛羅は、ちょうど新しく注文した服を試着しているところだった。
「……」
「君は、行かない方がいいと思いますよ」
 リーは、我愛羅の側によると留まるように忠告した。
「…どういうことだ」
「どうやら、原因は君の事のようですから…」
「オレのこと?」
「カンクロウさんが、君の滞在先を犬塚家か奈良家に移すと言ったら、ナルト君がすごい形相で怒り出してしまって…」
「……」
 我愛羅は、身なりを整えると部屋を出て行った。
「そうだ。僕もこうしちゃいられない。あの2人の喧嘩を止めないと…」
 リーも慌ててあとを追いかけた。

「どういうことなんだ。説明しろ」
 テマリは、あざだらけになったカンクロウとナルトに詰め寄った。
「…なんでもない」
「なんでもないじゃないだろ。こんな騒ぎを護衛のお前が起こしてどうするんだ」
 バキから我愛羅が騒ぎを起こさないように監視役を仰せつかった二人だった。そこに我愛羅がやってきていた。
「ちょっと手合わせしただけだってばよ。しばらく雨が降って二人とも体がなまってたし…」
 ナルトもカンクロウに合わせるようにそう言った。
「…ナルト」
「ああ。我愛羅…心配しなくても大丈夫だから」
 ナルトは、傷だらけの顔で我愛羅に笑いかけた。目の周りは、カンクロウに殴られたせいで黒ずんでいる。カンクロウもナルトに殴られたらしく、その顔は青あざだらけだった。
「……」
「説明する事なんかねえよ。今、ナルトが言ってんじゃん」
 無表情で見下ろしている我愛羅から目をそらすとカンクロウは、そう呟いた。
…こいつがお前ら砂のやり方かよ。冗談じゃねぇよ!!アイツは、ずっと苦しんでいた。それは、兄弟のお前らが一番良く知ってるはずだろ…
『いつの間にか、オレよりも我愛羅のことを知っている奴ができちまった。オレは、我愛羅のためと言いながら、本当は、自分のために間違いを犯しかけたようじゃん』
「我愛羅…ごめんな」
 カンクロウは、小声で我愛羅に謝った。
「話がある」
 我愛羅が、カンクロウにそう言うと、テマリ達は、傷だらけのナルトを連れて先に部屋に戻った。
「もう…いい。カンクロウ」
 我愛羅は、二人がもめた事をリーの話から察していた。
「オレは、ちゃんと自覚している。それにオレには、お前やテマリがいる。ナルトは…アイツから教えられることはとても多い…ナルトといるとオレは、未知の自分に気づかされる」
「我愛羅…」
「オレは、大丈夫だ…」
 我愛羅は、座りこんでいるカンクロウに手を差し出した。カンクロウは、その手を握って立ち上がった。
「我愛羅。…オレが間違ってたよ。お前はもう、とっくに新しい道を歩き始めていたんだよな」
 いつの間にか降り続いていた雨が止んでいた。厚い雲の切れ間から、光が差し込み、空には大きな虹が架かっていた。
「でっけぇ…」
 叫んだのは、犬塚キバだった。側で赤丸も大喜びで飛び跳ねている。梅雨の合間に出た虹は、空に大きな弧を描き、彼らの頭上で美しく輝いていた。


「派手にやったな…」
 アパートに帰ってから、我愛羅は、再び傷だらけになったナルトの手当をしていた。
「痛たっ。お前の兄ちゃん、バカ力だってばよ。全然、手加減なしだからな。サクラちゃんに殴られたときみてぇだってばよ」
「…お互い様だろ」
 カンクロウに対しても決してナルトが手加減したとは思えなかった。素手でやりあっただけなので傷が癒えるのは時間の問題だったが、なぜここに女の名前が出るのか、そちらの方を不思議に思う我愛羅だった。
「ナルト…カンクロウを許してやって欲しい。オレを心配するあまりのおろかな行為だ」
「うん。我愛羅…分かってるってばよ」
 ナルトは、カンクロウが、一生懸命、我愛羅を守ろうとしている事を理解していた。
「大切なもののために良かれと思ってしたことが、必ずしも最善であるとはかぎらない。…難しいな。人とのかかわりというものは…」
 我愛羅は、ナルトから離れると軽くため息をついた。
「うん。そうかもしれないな。それでも、関わり続けることが人の中で生きていくってことだってばよ…」
「そうだな…」
 人とのかかわりを始めたばかりの我愛羅にとってナルトの言葉は、重かった。そして、関わり続けることで、いつか自分にとって大切な人とも出会うことができるのだろうと思うのだった。


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