青の洞窟


 南南東から上った釣り針型をしたサソリ座が、毒針をあげた恰好で、低く這うように南の空に張りついていた。夏の大三角を通って、サソリの尾の東側に流れ出る天の川が、一段とその濃さを増す方角には、銀河系の中心がある。その年の夜空には、二つの赤い星が、獣の目の様に並んで光っていた。古来より、サソリの心臓部で赤く輝くアンタレス(火星に対抗するものの意)と、火星が接近する時、災害や戦争が起こると言われている。人々は、不安におびえながら、その二つの赤い星を仰いだ。

「大変です。また、キャラバン隊が何者かに襲われました!!」
 第3中央方面砂漠基地内の連絡室に新たな情報が届いた。
「我愛羅の仕業に違いない!!」
 誰もが、そう叫び、砂漠に姿を消した人柱力のもたらす甚大な被害に目を覆った。
「例によって皆殺しです。現場は、凄惨を極めます」
 バキは、部下から、紙片を受け取ると、地図に被害があった場所を書き加えた。
 ここのところ、立て続けに砂漠を横断するキャラバン隊が、正体不明の何者かに襲われる事件が起きていた。丁度、我愛羅が姿を消して3カ月が経った頃から始まり、転々と場所を変えながら起こるようになった。出くわしたものたちは、誰一人として生きていなかったため、殺戮者の正体を見たものはいなかった。
「どうやら、西へ移動しているようですね。このままだと、あと3日で国境の海岸部に到達します」
 部下の報告に、怒鳴ったのは、ウエシタだった。
「人柱力を国外に出すなどもっての他だ。何としても捕えるんだ。さもなくば、抹殺しろ!」
 ウエシタの左腕には、喪章がはめられていた。彼の大切な双子が、卒業試験に向かう途中、亡くなったのだった。双子が、我愛羅と班を組むことを知っていた何者かが、彼らを殺害したことは明白だった。それでも、ウエシタは、我愛羅を怨まずにはいられなかった。そして、砂漠で我愛羅を発見しながら、翌日、一人で帰還してきたバキを責めた。最愛の息子を一度に二人も失ったウエシタの悲しみにバキは、黙ってその役回りを引き受け、友人の心に寄り添った。
「お前には、ちゃんとわかってるはずだ。我愛羅を怨むな。…あいつのせいではない」
 ウエシタは、号泣した後、弔いのために里へ戻り、そして、喪章をはめて再び砂漠に戻ってきたのだった。
「西部海岸の国境警備隊には連絡済みです。総員戦闘体制でV作戦を行うそうです」
「俺たちも急いだ方がいいな」
 V作戦とは、対象を必ず拘束もしくは殺害するために、数百キロ先から漏斗状に結界を張り、一点におびき寄せる作戦だった。ある程度、対象の進路が明確になるとその成功率は、飛躍的に増した。広大な領土を持つ風の国を守る国境警備隊が、もっとも得意とする作戦でもあった。
『…何としても先に我愛羅を見つけなければ…』
 洞窟で見失ったとき、バキは、死ぬほど後悔した。つい先ほどまで腕の中にいたことは、残された温もりでわかった。あのまま、この腕の中に抱いていれば、これほど苦しまずに済んだはずだった。すぐに動けるような状態ではなかった。そんなに遠くにいけるほど、我愛羅の体力やチャクラは回復していなかった。それが油断を生んだ。バキは、シムーンの合間をぬって、我愛羅が潜んでいそうな岩陰や洞穴を探した。だが、追跡が厳しければ、厳しいほど、潜んでいる我愛羅を追い詰め、死に至らしめることに気がつくと、捜索をやめて基地に戻ったのだった。
…何としても生き延びろ…
 それが、 バキの心からの願いだった。
 西へ向かう途中、シムーンに何度か遭遇した。死の風は、何人にも容赦なく襲いかかり、その存在のすべてを砂に帰す。砂漠の前線基地にいる忍は、手っ取り早く洞窟に隠れるか、自ら砂中に潜りチャクラで空間を確保するのが定石だった。シムーンが一定の場所に留まることは、稀であったため、瞬間的な熱砂をやり過ごすことが、生き延びるためのコツだった。我愛羅が、それを知らぬはずはないとバキは、思った。


「シムーンか…」
 断崖の上から、彼方の砂漠で起こっている巨大な自然現象を我愛羅は、見ていた。シムーンには、苦い思い出があった。それは、まだ、風影が、我愛羅に優しかった頃の話だった。

「父さま。見て。ボク、こんなことが、できるようになったよ」
「すごいぞ。我愛羅。さすが、お前は、俺の息子だ」
 幼いころ、我愛羅の父である四代目風影は、公務の合間をぬって付きっきりで我愛羅に忍術を教えた。我愛羅の隣には、いつも風影をがいて、子は父の期待に答えるために、精一杯の努力を惜しまなかった。誉められことが、嬉しくて、つらいはずの修業にも頑張った。
 ある時、砂を操っていると、自分の中に不思議な力があることに気がついた。それは、何か奇妙な力で、使ってみると、信じられない量の砂を持ちあげることができた。これまでとは全く別の技ができそうだった。我愛羅は、砂に熱を加え、スピードをつけて旋回させることを思いついた。初めは、つむじ風程度に砂が回った。そして、段々と大きな竜巻を作れるようになった。我愛羅は、風影が見ている前で、大規模な砂嵐を作ることに挑戦した。大きな竜巻は、里の中を破壊しながら南北に縦断した。当然、誉められると思っていた我愛羅は、いつものようにクマのぬいぐるみを褒美にねだった。しかし、風影は、それには答えず、代わりに、その技を二度と里の中で使わないようにと厳しい声で言った。その日から、風影は、我愛羅を構わなくなり、代わりに夜叉丸が世話係に任命された。
…それでも、オレは、父の愛情が再び、オレに戻ってくることを信じていたんだ。あのときまでは…
 夜叉丸が死んだ次の朝、我愛羅は、部屋にあったクマのぬいぐるみを一つ残らず引き裂いた。それは、父親からの愛情の印であり、我愛羅の努力の成果だった。



「……!」
 我愛羅は、獲物の気配を察知すると身をひるがえして、砂漠に降り立った。
「来る!」
 素早く攻撃態勢を整えると、我愛羅は、前方の獲物に向かって、大量の砂を放った。攻撃をかわしながら、ばらばらに散った我愛羅の獲物は、西へと猛スピードで疾走した。獲物の逃げ足は速く、我愛羅はこれまで幾度となく見失っていた。
「逃がしはしない!」
 少なくなったチャクラを補うために、我愛羅は、守鶴の力を利用した。半尾獣化した我愛羅は、砂漠を跳躍しながら獲物を追った。

「大きなチャクラを感知しました。尾獣のものと思われます」
「我愛羅だ!!」
 国境警備隊が敷いた結界の射程距離内に我愛羅侵入の報告が入ると、前線の忍たちは色めきたった。
「絶対に捕まえるんだ。ここで逃せば、あと3年は、故郷に帰れんと思え!」
 辺境に位置する国境警備隊に配属された忍は、一日千秋の思いで、故郷に帰れる日を待ちわびていた。バキたちがいる中央砂漠方面基地よりさらに二倍も砂の里から離れた辺境の国境警備隊のことを忍たちは、密かに親不幸警備隊と呼んでいた。



 バキが去った事を確認すると、我愛羅は、岩屋へ戻った。少し動いただけで、息切れがするほど、まだ体は、癒えていなかった。水を飲み、少量の食べ物を口にすると、冷たい岩肌に横になった。三日間そこで体力の回復を待ち、四日目に砂漠へ戻った。行く当てはなかったが、砂の里に戻るつもりはなかった。バキが持ってきた水と食料が、尽きると、生きていくためにどこかでそれらを調達する必要性が生じた。幸いにも砂漠には、定期的にキャラバン隊が往来するキャラバン・ロードがあった。時には、何百頭ものラクダを連ねて、一族もろとも引き連れた大規模な行商も行われていた。我愛羅は、キャラバン隊を襲う事を考えた。しかし、ただの盗賊に身を落とすことには心理的に抵抗があった。これまで、物に不自由したことがなく、欲すれば、与えられる、それが風影の息子である我愛羅の環境だった。他人の物を欲した事もなければ、まして、糊口をしのぐために、食料を力ずくで奪い取ることなど考えたこともなかった。屈辱的な盗賊行為と、清貧を貫き待ち受ける餓死、それは、どちらも回避すべき選択だった。
…生きるためだ…
我愛羅は、できるだけ自分の誇りが傷つかないやり方を考えた。

「大変だ。砂嵐が来るぞっ!」
 前方から迫り来る砂塵により、あたり一面が赤くなった。ラクダ引きたちは、あわててラクダを砂の上に座らせると、その影に身を隠した。幸い、熱を伴ったシムーンではなく、ただの砂嵐である事に彼らは安堵した。一陣の砂嵐が過ぎ去ると、青空が戻った。
「被害状況を報告しろ」
 商人達は、自分の積み荷とラクダの数を確認すると、商人頭に、被害状況を報告した。
「よし。大した被害はないな。水と食料の荷がたった1つ飛ばされただけだ。よかった。さぁ、先を急ぐぞ」
 そして、彼らは、何事もなかったようにラクダを引き連れ、隊列を整えながらオアシスへ向かった。

 我愛羅は、手に入れた水と食料を持ち、さらに西へと移動した。砂嵐にまぎれて幾ばくかの食料を貰う代わりに、それに見合う以上の砂金を持ち主の荷の中に置いてきた。砂金は、砂を使えば、いくらでも見つけることができたため、路銀には不自由しなかった。こうして、キャラバン隊から、その都度、必要なものを調達しながら、我愛羅は、西へと向かった。
 砂漠に出て3回目の満月の夜がきた。南の空に張り付いていたさそり座は、すでに姿を消し、代わりに冬の星座が天を支配し始めていた。風の国は、土地の多くを砂漠が占めるが、海岸部や山岳地帯など、地域ごとに多彩な気候を持っていた。夏と冬の気温差は約50度、また、年間を通じて、乾燥していて降水量はわずかだったが、冬に降る雨は、時折、雪になった。短い秋が終わり、気温が日に日に下がり始めると、我愛羅は、寒さをしのぐために、洞窟を探した。そして、手ごろな大きさのものを見つけると、用心しながら、中に入った。暗闇に目が慣れると、無数の星が光っている事に気がついた。やがて、星たちは、うようよと不規則に動き始めた。どうやら、ここには、先住者がいたらしい。彼らは、招かざる客に動揺しているようだった。そして、勇気を振り絞った一匹が我愛羅めがけて飛び掛ってきた。砂で打ち払うと、小さな砂ねずみが、足元にころがった。仲間の死をきっかけに、一斉に砂ねずみが飛び掛った。しかし、同じく砂で一蹴されると、砂ねずみたちは、あっけなく死んでしまった。我愛羅は、砂ネズミ達の屍骸を砂に乗せて外に追い出し、砂漠に埋めた。砂ねずみがいなくなった洞窟をチャクラで灯した炎で照らすと、一面に青い世界が広がった。
「ラピスラズリ?」
 青金石を主成分とするラピスラズリは、その深い青色から、瑠璃と呼ばれることもある藍色の宝石で、しばしば黄鉄鉱の粒を含み、夜空の様な輝きを放った。そのため、「天空の破片」と呼ばれていた。
「壮観だな…」
 我愛羅は、頭上に広がる神秘的な青い星空にしばし、言葉を失った。それは、宝飾に使用する他、古来より儀式や呪術で使用されることの多い「聖なる石」だった。案の定、最奥の岩の上には、呪札と人型が安置してあった。我愛羅は、一晩、その洞窟で過ごすと、聖なる場所の入り口を侵入者から守るために岩でふさいだ。
 奇妙な事がおこり始めたのは、それからだった。行く先々で、なぜか惨殺された人間や動物たちに遭遇するようになった。彼らは、不幸に見舞われたばかりであるらしく、血だまりが、砂の上に吸収されずに残っていた。そして、積荷や金塊が、その回りに散らばっていた。その惨状は、あたかも巨大な獣に襲われたようにみえた。砂漠には、様々な生き物が生息していた。キツネ、へび、さそり、ねずみ、鳥やトカゲもいた。また、時折、自然エネルギーを利用して、次元の割れ目から妖獣が出現する事もあった。忍たちは、彼らと契約を結び、口寄せとして利用していた。我愛羅の姉、テマリもカマタリを呼び出すことができた。兄のカンクロウも、おそらくなんらかの妖獣を呼び寄せる事ができるはずだった。我愛羅は、すでに生まれたときから、守鶴を憑依させられていたため、あえて口寄せをしようとは思わなかった。
 凄惨な出来事に立て続けに遭遇すると、さすがに気にしないわけにはいかなくなった。襲撃にあった付近を探索してみると、どれもすぐ手前にシムーンで死んだと思われる砂像があった。すでに原形を留めてはいなかったが、それは、明らかに人間のものだった。
「妖獣の仕業だな」
 我愛羅は、バキの食料袋の中にあったシムーンの発生予報を取り出した。資料から、次の発生時刻と場所を予測し、先回りして高台に登って砂漠を見渡していると、まもなく竜巻が発生し、次元のひずみから砂色の巨大な妖獣が現れた。
「砂ねずみ?…まさか…」
 洞窟で見かけた砂ねずみは、数こそ多かったが、どれも普通の砂ねずみだった。しかし、その場所が、ラピスラズリに囲まれた聖域だったことが問題だった。
「あの洞窟は、こいつを封じ込めるためのものだったのか」
 我愛羅は、自分が封印を解き、巨大ねずみを呼び覚ました事に気がついた。
「しかたがない…」
 舌打ちすると、我愛羅は、高台からひらりと飛び下りた。巨大ねずみは、我愛羅に気がつくと牙を剥きながら突進してきた。しかし、あっという間に砂に捕らえられ、その巨体を封じ込められた。そして、砂に圧力がかかると、押しつぶされる前に小さく分解して隙間から這い出した。砂から逃れると小ねずみたちは、一箇所に集まり再び大きな単体を形成した。
「ばかな…」
 戸惑う我愛羅に長い尻尾を打ちつけると、そのまま逃走した。我愛羅は、咄嗟にチャクラを練りこんだ砂手裏剣をねずみに放った。巨大ねずみは、シムーンで得た自然エネルギーが尽きるまでひたすら砂漠を疾走した。そして、運悪くその逃走ルート上を横切ったキャラバン隊が、次の犠牲者となったのだった。


「まもなく人柱力が姿を現すはずです」
 結界の中に一端迷い込むと、そこが曲がりくねった道になっていても本人は、気がつかない。あとは、予定されたルートをたどって、ゴールにたどり着くしかなかった。巨大ねずみを追って西に向かった我愛羅は、自分がすでに捕縛者の手中に落ちている事にこの時まだ気づいていなかった。
 


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