第三部「正規部隊編」 
第一章「辺境警備〜ジンの荒野」


 巨大な丘を這い登った飛砂は、頂部に達すると限界を超えた時点で風下側に滑落する。風により堆積と浸食を繰り返す砂丘の背後には、何処までも続く青い空と彼方まで見通せる荒涼とした砂漠が広がっていた。砂の隠れ里から三日の距離にあり、風の国の中央にあたる最も乾燥した地域、そこに第三中央方面砂漠部隊基地はあった。
「おい。アカゲ。交替の時間だ。お前、今日は、食事当番だろ」
 展望台の下から声がすると、それまで身じろぎもせず砂漠を見張っていた一人の小柄な少年が、梯子を伝って降りてきた。
「…頼む」
 双眼鏡を交替に来たツブサに渡すと少年は、基地の方に歩いて行った。
「そうだ。これから第123演習場の視察ついでに里の上役連中が見回りに来るらしい。奴らの分も食事を用意しろとさ」
「わかった」
 少年は、背後からの伝言に振り向くでもなくぶっきら棒に返事をした。
「相変らず無愛想な奴だな」
 ツブサは、苦笑しながらその後ろ姿を見送ると梯子を上った。交替でその展望台から砂漠に発生する‘シムーン’と呼ばれる熱砂を伴った死の風を定点観測する、それが彼らの仕事だった。
 
「これは、由良殿。遠いところをようこそ」
「恐縮です。わざわざお出迎えいただかなくとも、ちょっと御挨拶に伺っただけですのに…」
「なにをおっしゃる。あなたは、お若いとはいえ上役だ。我々が出迎えるのは、当然のことです」
 視察団の長を務める由良は、若干25歳という若さでありながらすでに数々の武勲を立て上忍の中でもほんの一握りの人間しか着くことのできない上役の立場にあった。しかし、以前から誰に対しても決して横柄な態度を取ることはなく、常に謙虚に振舞っていたため、異例の出世にもかかわらず人々からの信頼も厚かった。
「どうぞ、こちらへ」
 基地の司令であるウエシタ部隊長に伴われ、由良は指令室へと案内された。
「随行の方は、食堂の方で昼食をどうぞ」
 由良に着き従っていた4人の護衛を案内したのは、中忍のサテツだった。
「カンクロウ…だよな」
 サテツは、見知った顔を見つけるとそっと声をかけた。
「ああ…。アンタは?」
「オレは、サテツだ。例のことでバキさんから特命を受けてる…」
「…で…どうしてる。アイツは…」
「これから直接確かめるといい。きっと驚く」
「……」
 カンクロウは、サテツに案内されると、昼食時でごった返している食堂に入って行った。そして、注意してあたりを見渡したが、探している姿は、容易には見つからなかった。
「一体どこにいるんだ?我愛羅の奴…」
「あそこだよ。あの厨房の一角…」
 サテツが指差す方向には、トレーを持って食事の配給を待つ背の高い忍たちが集まっていた。そして、人々の間から時折、無表情で米飯を皿に盛っている小柄な少年の姿が見えた。
「えっ?」
 カンクロウは、我が目を疑うとその集団をかき分けて中に入ろうとした。その腕をサテツが掴んだ。
「やめとけ。アイツは、ここでは一介の下忍で通している。名前もアカゲと呼ばれている。誰も奴の正体に気がついちゃいない」
「…アカゲ?」
「ああ。丁度、アイツが来た日に部隊長があだ名を付けたんだ。それから、皆にそう呼ばれている。アイツも意義を唱えなかった」
「…あだ名?…あの我愛羅に?」
 カンクロウは、二週間ぶりに会う我愛羅の様子に困惑していた。我愛羅の正規部隊入隊については、合議制会議でもなかなか結論が出なかったが、結局、砂漠の真ん中にある第三中央方面砂漠部隊基地に派遣されることになった。辺境警備という任務ならば、守鶴の暴走が起きても被害は最小限に抑えられる上、砂漠に阻まれ勝手に逃走することもできず、非常時は人柱力を呼び出すのに好都合の距離というのが、彼らが一週間かかって出した結論だった。その監視を荷なったのが、バキの知人であるウエシタ部隊長とその部下のサテツだった。
 カンクロウは、改めて我愛羅の姿をその群衆の中から探し出すと、少し離れた場所から見つめていた。やがて、目的の皿を確保した忍たちの姿が厨房の前から消えると、カンクロウの目の前に懐かしい弟の姿が現れた。しかし、再会の喜びもつかの間、カンクロウは、もう一度驚かされることになった。
「お前…」
 そこには、正規部隊の標準服に身を包み、額当てをきっちり締めた見慣れぬ我愛羅の姿があった。
「おい。アカゲ。あっちのコーナーにお客さんの食事を運べ」
 サテツは、カンクロウの言葉を遮ると一足先に奥のコーナーに招き入れた。
「アイツの邪魔をするなよ。…わかってるんだろ?」
「ああ…そりゃ…だが…」
 ひと目見て探しだせなかった理由をカンクロウは、理解した。あまりにも他者と同化してしまった我愛羅の格好が、容易にカンクロウに居場所を教えてくれなかったのだ。しかも、背中にはトレードマークともいえるひょうたんも背負っていない。
『無防備すぎる…あれじゃ、もし万一の時、どうするつもりなんだ?』
 我愛羅の周りには、まだ敵が多いのも事実だった。暗殺の恐れも完全になくなったわけではなかった。合議制会議に出席する9人の上役とチヨやエビゾウといった2人の相談役の間には、依然として我愛羅を排除しようという意見も多く見られ、バキやリュウサがかろうじてそれを抑えている状況なのだ。辺境に配属されたことについても我愛羅を排除しようとする勢力にとっては、好都合といえた。
「久しぶりだな…カンクロウ」
 そこに一人分の食事のトレーを運んできたのは、我愛羅だった。それに気が付くと、サテツはカンクロウに目配せして退席した。
「我愛羅…その格好は…」
「…これか。ここでは、皆と同じ様にしている。それだけのことだ」
「ひょうたんはどうした。それじゃ、背負うことができないだろ?もしもの時、どうするつもりなんだ」
 カンクロウは、真顔で心配していた。
「もしも?」
「ああ。…いつ何時、どんなことがあるか分からない。例え辺境だとしても…油断するなんてお前らしくないじゃん」
「…何かあったとしても今のオレは、一介の下忍にすぎない。それにここは砂漠の真ん中だ。わざわざ持ち歩かなくとも砂はいくらでもある」
 チャクラを練り込んだ最低限の砂は、我愛羅自身が常に鎧として身につけている。それさえあれば、急場がしのげることをカンクロウは知っていた。
「だが…」
 これまでテマリと二人で守ってきた弟をたった一人で砂漠の真ん中に置き去りにする…そのこと自体がすでにカンクロウにとっては、不安でならなかった。木ノ葉での生活と違って砂の里における我愛羅の立場は、以前となんら変わっていないことは、帰郷の際に彼らを見た里の人々の冷たい態度と視線でいやというほど味わった。他里で篤い待遇を受けたそのすぐ後で、懐かしいはずの自里での冷遇ぶりは、一大決心をして帰った我愛羅をどんなに打ちのめしたことだろうとカンクロウは心を痛めていた。おまけに合議制会議は、我愛羅の申し出を馬鹿げたことだとしてにべもなく突き返してきたのだった。そこでもバキとリュウサが、強く抗議してやっと我愛羅の願いが叶ったのだと聞かされた。
「心配いらない。…オレは、皆に合わせてうまくやってる」
「我愛羅…なんで、今更さらお前がこんなことを…」
 カンクロウは、先ほど見た厨房での我愛羅の姿を情けなく思っていた。我愛羅の実力ならば、すでに小隊どころか中隊を率いていてSランク任務に借り出されてもおかしくなかった。それが、これではまるで卒業したての下っ端扱いだ。
「…こんなことしたいわけじゃないだろ?こんなこと…風影になるのに何の役に立つんだ?名前まで隠して…お前は、四代目風影の息子で、あの‘砂瀑の我愛羅’なんだぞ。分かってるのか」
 カンクロウは、短い間に見てきたことをまくしたてた。我愛羅は、顔色一つ変えずに穏やかに聞いていた。
「…お前がどうして怒るんだ?…オレは、ここでの生活も悪くないと思っているのに…」
「こんな辺鄙なところに監禁されててもか?」
「監禁?…そんな風に思ったことは一度もない。ここは、‘死の風’の観測を行う正規部隊の施設だ。それに皆がしている当たり前のことを当たり前にやっているだけだ。オレは、長いこと特別扱いされてきたが、それが人を遠ざけ人から疎まれる要因の一つだったことを知っている。…うずまきナルトとオレとの違いは、そこにあった。だが、オレが皆と同じように振舞うことで、ここでは、木ノ葉と同じようにオレは、普通に扱ってもらえる。…心地いいんだ。そうやって皆に当たり前に接してもらえることが…」
「我愛羅…」
「ここでは、誰もオレをその名前で呼ばない。この赤い髪…アカゲがオレの新しい呼び名だ。ここにいる間は、お前もオレをアカゲと呼べ」
 我愛羅は、そうカンクロウに告げると、その場を離れた。手早く食事を済ませて厨房の片づけを手伝わねばならなかった。それは、下忍達が順番にしている仕事であり、今日は、我愛羅の当番だったのだ。
「……」
 カンクロウは、言葉を失っていた。我愛羅が持ってきた食事に目線を落とすと先ほどの不器用そうにしゃもじを持った姿が思い出された。
…オレは、砂の一人の忍として風影を目指す。オレがこの里に繋がり生きるために…
 あの夕陽の中、我愛羅が思いのたけを語った時、カンクロウは、弟の決意を動かしがたいものだと悟った。そして、その先の困難を考えつつも、我愛羅が風影になるのはそう遠い先のことではないと感じていた。正規部隊に入隊し困難に出くわせば、それが逆に武勲を立てる機会にも繋がる。それを繰り返すことで我愛羅は、風影に近づいていくことができる。カンクロウは、我愛羅の第一歩となるこの第三中央方面砂漠基地を訪れる際にも、すでに我愛羅が何らかの勇名をはせているものと勝手に思い込んでいた。
「こんなことって…嘘じゃん」
『お前は、ただの一介の下忍になりたかったわけじゃないんだろ?』
 性急すぎる望みだと分かっていても、あまりにも想像と違う今の我愛羅の姿にカンクロウは、思わず食事のトレーをひっくり返していた。


「カンクロウには、ショックだったようだな」
 視察団一行が帰ると展望台に再び上っていた我愛羅の横にサテツが腰を下ろした。
「アイツは、せっかちだからな。…昔から」
「まぁ、お前の正体を知ってる奴が、ここでのお前の姿を見れば驚くのも無理はないさ。バキさんから聞いてたオレだって未だに驚いているんだ」
 砂漠に大きな夕日が沈むところだった。これから夜間にかけては、冷え込みが厳しくなる。彼らは、展望台の窓を閉めるとそれぞれフード付きのマントを着用した。気温の上昇に伴い発生するシムーンは、夜間には心配なかったが、代わりに砂漠にすむ獣たちや盗賊の類が、彼らの警備の対象となった。しかし、それさえもめったに襲ってくることはなく、何事もなく朝を迎えるのがここでの常だった。砂漠基地での生活は、概ね何処も似たようなものであり、昼間に行う砂漠パトロールにおいても異変がある事の方がまれだった。カンクロウの言に反して、平和そのものの穏やかな日常の中で武勲を立てる機会を見つけることの方がむしろ困難と言えた。そんな毎日を繰り返しながら我愛羅は、すでに砂漠で二週間を過ごしていた。
「おい、アカゲ。暇つぶしに花札でもやろう」
 同じ年のセキは、基地内で唯一ため口を聞ける存在として、我愛羅を見かけると始めから親しげに声を掛けてきた。まるで以前からの友達のように接する様子に周囲も彼らは、アカデミーの同級生なのだろうと思ったぐらいだった。
「今は任務中だから駄目だ」
「固いこと言うなよ。夜は、長いんだから。それに何にも起こりゃしないって。ここでの最大の敵は、退屈な時間をどう過ごすかなんだから」
「……」
「おい。セキ。オレも混ぜろよ」
 我愛羅が、困惑していると横からサテツが割り込んできた。
「さすが、サテツ隊長。話が分かる」
 セキは、嬉しそうに笑うと我愛羅とサテツの前に札を配り始めた。
「コイツは、妙に気まじめだからな。…たまには、付き合えよ。な、アカゲ」
 強引な二人に我愛羅は、仕方なく配布された札を手に取った。
「オレは、やり方をしらない…」
「え?花札だよ。…お前やったことないの?一度も?」
 配布された花の絵柄の札を初めて見る我愛羅は、その遊び方を知らなかった。ナルトの家では、見かけない絵札だった。
「しかたない。教えてやるよ」
 すぐにでも遊べるものと思っていたセキは、それから夜を徹して我愛羅にその遊び方を伝授した。花札は、当時、各国の大名たちの間でもはやっている国際的な遊びでもあり、忍たちや一般の人々にも愛好されている伝統的なカードゲームだった。
「ほら、イノシカチョウだ」
「オレは、シコウだな」
「…こいつ…本当に初めてなのかよ」
 夜が明けるころには、誰も我愛羅に勝てなくなっていた。我愛羅には、砂による感知と第三の目による探索ができたが、その忍術なしでも勝運が味方したようだった。こうして、カンクロウの心配をよそに我愛羅の新しい生活は、穏やかに過ぎようとしていた。
…砂漠で一人放浪していた時とは違い、ここではオレに普通に話しかけてくれる仲間がいる…それが、心地いい…
 朝が来ると夜勤明けの我愛羅たちは、仲間と交替しそれぞれの部屋に向かった。夕方までの時間は、仮眠を取ったり食事をしたり自由に過ごせた。
「おい、アカゲ。そう言えば、昨日、お前、カンクロウさんと話していたな。知り合いなのか?」
 朝食を終えて部屋に戻ろうとしていた我愛羅に話しかけてきたのは、ツブサだった。
「サテツに言われて食事を運んだだけだ…」
「ああ。そうか…だよな。あんな大物に知り合いがいれば、なにもこんな辺境に飛ばされてくることはないよな」
「アイツ…大物なのか」
 我愛羅の素朴な疑問を驚きと勘違いしたツブサは、大笑いすると自分よりも随分小さな我愛羅の肩に手を置いた。
「驚くなよ。アイツは、四代目風影の長男だ。一番、五代目に近い男なのさ。まぁ、長女のテマリ姫の方が風影には向いてるんじゃないかって話もあるが…いずれにしても、これから砂の里じゃ勢力争いが始まるって話だ。…ま、どの道、こんな辺境にいたんじゃ関係ない話だけどな…だが、有力者に知り合いがいれば、里に戻って内地勤務できる可能性が高いからな」
「アンタは、ここの生活が不満なのか?」
 ツブサは、下から見上げて真面目に聞いてくるその年下の忍の質問に意外な顔をした。
「ふぅん。なんだかお前は、ここの生活が気に入ってるみたいだな。珍しいやつだ」
「……」
「普通は、皆、里に帰りたがるってのに…」
「……」
「ま、いいさ。中には、お前みたいにここが好きって奴がいたっておかしくはないさ。退屈なところだけど一日を穏やかに過ごしたい奴にはもってこいだ」
 ツブサは、再び笑うと手を振りながら去って行った。
…カンクロウとテマリを担いで勢力争い?…
 我愛羅は、ツブサが言った言葉に引っかかりを覚えた。元来、里長である風影は、世襲的なものではなく選出によってなる地位だった。空席である五代目風影の座をあまたの忍たちが目指しているだろうし、カンクロウやテマリがそこを目指していてもおかしくはなかった。
『…いずれにしてもオレは、オレのやり方で風影になるしかない』
 我愛羅は、始まったばかりのレースを自覚すると自分の部屋に戻った。部屋の片隅には、忍具であるひょうたんと装着用のベルトと白布がひっそりと置かれていた。

 
 視察団が去った翌日、国境まで遠征していた討伐部隊が第三中央方面砂漠部隊基地に帰還した。一か月分の砂塵にまみれた4人組からは、汗と血の匂いが漂っていた。
「…おい、見ろよ。あの腰にぶら下げた額当て…10個ずつはあるぜ」
「ってことは、同胞を40人も殺したってことか…」
「やっぱ、血も涙もない連中だぜ」
「ばか。里の抜け忍だぞ。殺されても当然だよ」
「違うよ。半分は、合議制会議のやり方や里の体制に逆らった奴らさ。中には、上役の不正を告発した為に殺された奴もいる」
「噂じゃ、忍者として未熟なヤツや怪我や病気で足手まといになった奴も処分されるって話だ」
「オレも聞いた。それに実際、この基地内でも食料倉庫に忍び込んだ下忍を全員の目の前でバッサリやったし…」
「やっぱり、こんなことができるのは、奴らが人間じゃないからだよね」
「ばか。声が大きい。聞かれたら今度は、お前がバッサリだぞ!!」
「やば…」
 彼らの姿を見るなり、それまで食堂内に流れていた緩い空気が、緊張感をはらんだものになった。
「アカゲは、初めて…だよね」
 セキは、隣で米飯を皿に盛る我愛羅に小声で話しかけた。
『…暗部の者たちなのか?だが、人間じゃないとはどういうことだ?』
 我愛羅は、只ならぬ状況に違和感を覚えた。普段は、のんびりとした雰囲気なのに今は、嫌な空気が漂っている。
「あいつ等、‘西の砂漠の四忍’って通り名だけど、影じゃみんな‘バケモノ四忍組’って言っている」
「………」
 我愛羅の手が止まった。
「…バケモノとはどういうことだ?」
 そのわずかな口の動きを目ざとく見つけたのが、四忍の中でも最も体の大きな男だった。
「おい。お前…」 
「あ…アカゲ…まずいよ。奴らに気づかれた」
「アイツ…滅多に口を開かないくせにこんな時に…」
「なんて間の悪い…殺されるぞ」
 いつの間にか我愛羅と男の間の人垣が消え、彼らは、まっすぐに対峙する形になった。
「すみません。コイツ、入隊したばかりで…何にも知らないんです」
 セキは、慌ててそう言い訳をしたが、男は、横に首を振った。
「そうか。なら、オレたちのこと、ちゃんと教えてやらなきゃな」
 にやりと笑うと、男は、いきなり我愛羅の鳩尾に拳を入れた。我愛羅は、咄嗟にオートの砂を解除するとそのまま、その拳を体に受け壁際まで飛ばされた。
「アカゲ!!」
 セキは、我愛羅に駆け寄ろうとしたが、その間には、男の大きな体が立ちはだかっていた。
「たわいのないチビだ。新入りがいると思ってたまたま見てたら、とんだ不始末を犯しやがって…。いいか。お前ら。ここでの禁句を忘れるな。今度、それを口にしたらその場で殺すぞ!!」
 男は、一括すると食堂内を見渡した。皆、怯えた顔で下を向いていた。
「お前ら、食事を運んで来い!!」
 男は、我愛羅とセキを指さすとそう命令した。
「アカゲ!!大丈夫か!?」
 四忍が、パーティションで仕切られたテーブルに移動すると、セキは、我愛羅の側に駆け寄った。幸い我愛羅は、砂の鎧をまとっていたため見た目ほどのダメージは、受けていなかった。
「ごめん。あいつ等が、目ざといってこと忘れてた。でも、これぐらいで済んでよかったよ。以前、吹っ飛ばされた奴は、首の骨が折れて即死だったから…」 
 セキは、素直にそう詫びると我愛羅の服の埃を払った。
「…驚いたろ」
 そこに現れたのは、サテツだった。
「彼らは、特別上忍なんだが、いろいろと…その…嫌われている。かなり特殊な能力のせいでね。いずれお前に話そうと思っていたが、予定より早く帰ってきてしまった」
 サテツは、途中から口ごもった。そこに怒声が響いた。
「おい。早くしろ。どうなってるんだ!?もう一度、殴られたいのか?新入り!!」
「どうする?」
 サテツは、我愛羅に聞き返した。単に食事を運ぶだけでは済まないことは誰の目から見ても明らかだった。
「…この状況ではオレが行くしかないだろう…」
 我愛羅は、料理長から特別料理を受け取ると彼らが待つテーブルへと向かった。
「アカゲ…」
 セキも諦めたようにもう一つのお盆を持つと我愛羅に従った。
「遅いぞ。おれ達を飢え死にさせる気か!!このグズめ」
「迅速な行動は、作戦の成功率を高めるってな。よく覚えておけ、下忍ども」
 案の定、男たちは、我愛羅とセキの姿を見るなり口汚く罵倒し始めた。特にしつこく我愛羅に絡んだのは、初めに一撃をくれたゲンブという巨漢だった。座っていても目線は、立っている我愛羅より高く、その目は三白眼に見開かれ残忍さが浮かんでいた。
「お前、名は?」
「…アカゲだ…」
「ふうん。どこかで見たような顔だが…気のせいかな」
 ゲンブは、赤い髪を上から触ろうとした。我愛羅は、その手を跳ねのけると、指をはじいて少量の砂を飛ばした。
「うっ、一体何を…」
 目をこすりながらゲンブは、首を振った。そして、そのまま寝入ってしまった。
「幻術!?…お前…砂使いか」
 隣で酒を飲んでいた長身の男が、そのやり取りに気づいた。
「オレは、オウサ。こいつは、リーダーのヨークだ。せっかくなら名前で呼び合おうぜ。アカゲ…」
 オウサと名乗った男は、いきなり平手で我愛羅の頬を殴った。
「…っ」
 だが、オウサの手が触れたのは、硬い砂の塊だった。我愛羅は、いつの間にか砂分身と入れ替わっていた。
「…やるなチビ…一応、アカデミーは卒業したらしい」
「だが、もう一人いることを忘れてもらっちゃ困るぜ」
 背後から羽交絞めにされると、我愛羅は、その締め付ける腕の異常さに気が付いた。そこにあったのは、黒くて短い毛がびっしりと生えそろった三対の肢だった。異常に細くて長いそれは到底、人間のものとは思えなかった。
「オレは、クロウンモっていうんだ。よろしくな」
 腕は、我愛羅を容赦なくぎりぎりと締め付け始めた。頭上からは、粘液が滴り落ち我愛羅の砂の鎧に染み込んだ。
「………」
「おい。誰だ?窓を開けたのは…。急に埃っぽくなりやがったぞ…」
 不快感に我愛羅のオートの砂が反応していた。しかし、それをかろうじて押しとどめていたのは我愛羅自身だった。
「…ちっ…」
 ヨークは、指先から伸びた鋭い爪で正面から力任せに我愛羅の服を引き裂いた。ウレタン製の標準ベストは、すぐに裂け、その下の忍服の破れ目から我愛羅の薄い胸板が露わになった。
「ふん。生っ白いガキだな。コイツ…」
「この砂漠で生きていくには、もっと鍛える必要があるな」
 男たちは、大きな体で威嚇するようにそう口々に言うと我愛羅の胸ぐらを掴み持ち上げた。
「離せ…」
 我愛羅は、そんな状況でも相変わらず無表情のまま薄い翡翠色の瞳で睨んでいた。
「ふん。可愛げはないが、いい目をしているな。この状況下でも屈しない根性は認めてやろう」
 オウサは、クロウンモに目くばせすると我愛羅の体を壁際に放り投げた。棚の上にあったコップが割れ大きな音が部屋中に響き渡ったが、誰も制する者はいなかった。
『…そろそろ限界だな…』
 我愛羅は、そう判断し立ち上がると、印を結び部屋中に散らばった砂を集め始めた。その様子を察知したヨークが、我愛羅の前に進み出た。
「未熟なお前が、何をしようと無駄だ。オレ達の変身する能力の前ではな」
 ヨークは、意外な言葉を発した。
「…変身する能力だと?」
 我愛羅は、思わず聞き返していた。確かに先ほどからクロウンモという男の腕は、人の腕というより、蜘蛛の触肢に近い状態になっている。だが、我愛羅は、これまでに砂隠れにそんな血継限界の忍がいるという話は、聞いたことがなかった。アカデミーの図書館でもそんな文献は見たことがなく、口さがない砂隠れの人々の噂でも聞いたことがなかったからだ。
「ガキのお前が知らなくても無理はない。オレ達は、とっくの昔に里を追放された一族だからな。そして、砂の里じゃ、その事は、タブーになっている。だが、この砂漠の中では知っておくべきだ。俺たちが存在することをな」
 ヨークの言葉を合図に目の前で男たちが、変身を始めた。オウサは、頭部が蛇になり腰のあたりから長い尾を生やしていた。ヨークは、腕組みをしたまま肩甲骨から大きな翼を生やし、ひざ下から鳥の足に変わっている。そして、先ほど我愛羅を羽交い絞めにしていた男は、完全に黒蜘蛛に変化していた。そして、幻術を解かれたゲンブの皮膚は、ごつごつとした岩石となり黒光りしていた。
「…なるほど…確かにバケモノのようだな…」
 我愛羅は、納得すると口元に笑みを浮かべてそう言った。
「何!?貴様、もう一度言ったら殺すと言ったはずだぞ!!」
 怯まぬ我愛羅の態度に男たちは、激怒した。そして、相変わらず無表情のまま睨みつけている我愛羅の胸ぐらをヨークが掴んだ。

…バケモノ…あっちへ行け…
…お前なんか死んでしまえ…
…こっちに来るな…

 それは、幼少のころから我愛羅自身が、人々から投げつけられた言葉だった。我愛羅は、自嘲気味に笑うと自分を捕らえている獣の手を振り払おうとした。
「新入り。よく覚えておけ。この砂隠れにおいて変身する能力を持つものは、最強だということを…」
 我愛羅は、その言葉に一瞬動きを止めた。ヨークは、我愛羅の表情に先ほどとは違う戸惑いを見つけると満足そうに続けた。
「オレ達は、この変身能力のお蔭で生き延びている。これまで多くの砂忍たちが命を落とした忍界大戦を経てもこうしてな。だが、いくら何百人もの他里の忍をやっつけても里の奴らや基地の奴らは、オレたちに感謝するどころか異常な目で見やがる。英雄として称えても、隣人にはしたくないと言わんばかりだ」
「………」
「だが、オレたちは、どんな姿になっても人であることに変わりはない。それが証拠に人を殺す度に魂が引きちぎられるほどの痛みをおぼえるからな。…血の匂いを知っているか?…クナイが肉を引き裂く感触や骨を断ち切る時の音は?命を失う瞬間に見せる人間の苦悶に満ちた貌は?それは、他里の忍であっても砂忍であっても同じだ。だか、オレ達は、この砂隠れに繋がり生きていくためにその命令に従う…この能力を使う…たとえ罪悪感でこの身が引き裂かれようとな」

…目が合った奴らは、皆殺しだ…
…殺すべき他者が存在し続ける限り…オレの存在は消えない…
…さぁ、感じさせてくれ…

 我愛羅は、作りかけていた砂の腕を再び空中に分解した。そして、全ての抵抗をやめると飛んでくる拳をその身に受け入れた。
「うわああっ…」
 そのうめき声は、誰のものだったのだろう。我愛羅は、痛みを感じながら死んでいく人々の怨嗟の声を聴いた。

…やめてくれ…
…どうか後生です。この子の命だけは助けてください…
…砂のバケモノが現れたぞ…逃げろ…
…助けてくれ…死にたくない…助けてくれ…死にたくない…

『これは、砂の里…オレは、手当たり次第に人や建物を破壊した。夜叉丸の裏切りに我を忘れて…』
『…これは、南のオアシス…一人の裏切り者が潜んでいる…それだけの理由で全てのものを砂の下に沈めた…大人も子供も…動物も…家や畑や湖も…』

…目が合った奴らは、皆殺しだ…
…殺すべき他者が存在し続ける限り…オレの存在は消えない…
…さぁ、感じさせてくれ…

『…あの頃、オレの魂は何処にあったのだろう…』

…こんな姿をしていても人であることに変わりはない。その証拠に、人を殺すことに罪悪感を覚える…

『…良心の呵責や…後悔や…罪悪感…』

…黙れ…まだ…物足りないんだよ…
…怖いのか…腰抜け…邪魔をすれば殺す…

『…そんなものは、オレの中にはなかった……』

…ナルトと出会う前のあの頃のオレ…

 いつの間にか額当てが外れ、赤い髪の隙間から緋文字が見えていた。
「額に…愛の緋文字…?」
「…どこかで聞いたような…」
「おい…まさかコイツ…」
 男たちは、口々にそういうと我愛羅から手を放した。
「おい。お前、もしかして…」
 クロウンモは、思わず我愛羅を揺さぶった。だが、我愛羅は、その手を打ち払うと自力で立ち上がった。四忍は、そのまま我愛羅の後姿を見守った。そして、あたり一面が砂だらけになっていることに初めて気が付いたのだった。

 
「アカゲ!!」
 廊下で我愛羅を見つけたサテツは、慌ててその傷だらけの体を抱き留めた。
「何故抵抗しなかったんだ。お前ならあいつらを簡単に殺すことだってできたはずだろ?」
「……」
 我愛羅は、答えなかった。無意識に発動するオートの砂を抑えながら砂の鎧を維持する事は、チャクラを解放するよりも消耗が激しかった。途中からは、その砂の鎧を維持することもやめた。
「くそっ…ちゃんと説明しておくべきだったな」
 サテツは、その華奢な体を抱えて医務室に走った。まさか‘砂漠の我愛羅’が、簡単に彼らにやられるとは思ってもいなかった。四人組を始末したところで誰が我愛羅を責めるだろう。彼らは、ここでは疫病神に過ぎない。
「こんなこと、バキさんになんて報告すれば…」
「報告する必要はない」
「えっ!?」
 我愛羅の言葉にサテツは、意外な顔をした。しかし、我愛羅は、目を閉じたままそれ以上は、何も答えなかった。


…強すぎる存在は、得てして恐怖の存在となる…オレは、四代目風影の切り札ではあったが、同時に危険な存在でもあった。そのことに気が付くと彼らは、オレを処分しようとしたのだ…オレは、里の危ない道具として丁寧に扱われていたに過ぎなかった…
「……」
 ぽっかりと目を開けると見慣れない部屋の天井が見えた。
「ここは…?」
「気が付いたかい?」
 見渡すと医療器具らしきものがまばらに置いてある白い部屋だった。
「サテツさんが君を医務室に運んだんだよ」
 にっこり笑うと医療忍者のリョウカンは、我愛羅に部屋に戻ることを許可した。
「それから、これをオウサさんとクロウンモさんが持ってきた。『済まなかった』って謝ってたよ」
 我愛羅は、彼らの部屋に忘れた額当てと、見慣れない布袋を手渡された。開けてみるとそこには、沢山の宝石と一枚の紙片が入っていた。

−砂瀑の我愛羅へ  御無礼海容  砂隠れの復興を衷心より切に願う  西の砂漠の四忍−

「彼らは?」
「今朝早く、討伐に出かけた。当分、帰ってこないから安心して」
「昨日帰還したばかりなのにもう次の任務が?」
「よくわからないけど…緊急事態が起こったらしいからね。でも、ここの皆は、彼らが出ていってくれてホッとしてるよ」
…だが、オレたちは、どんな姿になっても人であることに変わりはない。それが証拠に人を殺す度に魂が引きちぎられるほどの痛みをおぼえるからな。…だか、オレ達は、この砂隠れに繋がり生きていくためにその命令に従う…
 我愛羅の脳裏に彼らの姿と言葉が蘇った。
「…この砂隠れに繋がり生きていくために…か…」
「えっ?何か言ったかい?」
「いや…部屋に戻る」
「ああ。また何かあったらいつでもどうぞ…っていっても君の場合、なんでかすぐ直っちゃうけどね」
 我愛羅は、身なりを整え額当てを締めると医務室を後にした。そして、自室に帰る途中でセキに出会った。
「アカゲ、酷い目にあったね。アイツら緊急事態だって朝早く出て行った。今度こそ誰か殺してくれないかな」
「セキ…」
「…ほら、あいつ等って…全員バケモノだったろ。やっぱり、いくら強くても…普通じゃなきゃダメだよね…」
「……」
「そうそう。今日また、新人が入ったんだよ。僕らより年下なんだぜ。やっとこれで後輩ができる。こき使ってやろうぜ」
「……」
 セキは、話題を切り替えると、昨日の出来事を忘れたかのように笑っていた。
…英雄として称えても、隣人にはしたくないと言わんばかりだ…
 我愛羅は、そんなセキの隣で黙ったまま彼ら一族の事を考え続けた。そして、彼らの苦しみが理解できるのは、おそらく自分だけだろうと思った。命令一つで人を殺すために出かける…それは、かつて我愛羅たちが特別部隊で行っていた任務と同じ類のものだった。そこにあるのは、非情な殺戮のみであり、温かな繋がりとは無縁だった。彼らもまた長い間、そんな世界に生きてきたのだ。そして、砂漠基地に帰った時ですら、異質なものとして見られていた。
『誰からも歓迎されない帰還…』
 それは、木ノ葉の里から戻った我愛羅を待ち受けていた砂の里の人々の冷たい態度と視線を思い出させた。
『…それでも砂隠れの忍として、彼らなりに生きていこうとしたんだ…』
 我愛羅は、手の中に残された紙片と布袋を強く握った。そして、それが形見の品となってしまったことを三日後に知った。


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